2007年12月25日火曜日

Merry Christmas!!




Merry Christmas!!




思いがけなくサンタクロースが訪れました。

突然に。


プレゼントするばかりと思っていたのに、

知らないうちにプレゼントを送られる側に…。


いつの間に…

2007のエポック・クリスマス。






2007年12月15日土曜日

名古屋よりブログ仲間来る 利き酒会



【 利き酒オフ会 】

平成19年12月15日

会場:自宅にて

参加者:名古屋より来るブログ仲間の伊藤さん/わが夫婦

出品作品

信州の酒から(店頭にあった全品)ノミネートされました。

大雪渓/千曲錦/仙醸/喜久水/真澄/七笑/オバステ正宗

以上、七作品(順不同)




ひと口呑んで、参加者が口々に

「美味い…」、 「美味しい…」、 「美味い…」。

そう言った瞬間から、あとはどれもこれも皆同じ。

日本酒であることを確かめ合う、

タダの「呑んべいの会」三人衆になってしまいました。

それも良し…かな。





珍しい「交通安全リンゴ」です。

予期せぬ雨、そして雪。

正しくは、「予期せぬ…」どころではなく、
名古屋からの客人・自称雨男がお土産に連れてきた(笑)

昨日も今日も
峠道の路面は凍結&シャーベット。

12月だから…といえば、それはそうなのだけれど。

でも、当地では心とタイヤの準備が必要というものです。


帰りもお気をつけて、交通安全!





2007年12月12日水曜日

名古屋に関する私的考察…というより、むしろ只の思い出の羅列について

当地は愛知県でも、岐阜県でも、三重県でもないのに、なぜか当時は名古屋のTV番組が受信できた。

だから、わが家では「1チャンネルは東海テレビ」だった。

今でこそ、アンテナを向けていないので受信できないが…、わが家では、地元の電波塔を狙う素子の少ないアンテナと、全然違う方向を指した素子の多い、大げさなアンテナとで一組だった。UHFなど無い時期にだったから、目だったと思う。

かなり前のこと、父に理由を尋ねたら、
「電気屋に任せておいたら、そうなっただけ」
いかにも主体性に乏しく、そっけない回答だったが、確かにそうだったのだと思う。

当地ではNHKが4チャンネルを割り当てられているので、名古屋における1チャンネルの割り当てとバッティングしなかった…、に加えて、第1チャンネルは他に比べて、多少なりとも波長が長いこともあって、山間をぬって当地に届きやすかった…それらの好条件が重なった結果なのだと思う。

だから、スガキヤのこと、オリエンタルカレーのあの悲しい響き、コメ兵にしよう…のCMから、何かと話題の「赤福」

さらに、♪さんわさんわ サンワの若鶏~美味しいったらないね♪

を知っている当地の子供は、当時では少なかろう。

夜になれば、かすかに11チャンネルの名古屋テレビ(当時)が映ったものだから、たしか隔週の金曜日だったと思う…近所の大人たちがわが家に集まっては、おそらくプロレス中継を観ていたのだと思う。

こどもなりに、その時間が嫌でたまらなかった…たぶん、隔週の同じ時間帯にディズニーのアニメを放映していたからだと思う。

子供の思い込み、CMの効果とは恐ろしいもので、当時の私にとってウイロウといえば「青柳」のことだった。
が、当時に名古屋の叔母に「ウイロウが食べたい」とねだったら、程なく贈られてきたのは「大須」のそれだった。

子供とは残酷なもので、
「コレ、違う…」
そういう意味のことを手紙に書いたら、「ごめんなさい」と書かれた手紙とともに「青柳」が届いた。

「しろ・くろ・まっちゃ・あがり・コーヒー・ゆず・さくら」(注:当初アップしました時には「しろ・くろ・まっちゃ・あずき・うぐいす・ゆず・さくら」と記しておりましたところ、名古屋在住のブログ仲間である伊藤さんから誤記との暖かいご指摘を頂き、早速に訂正させて頂きました)を覚えているのは、我ながら恐ろしきかな…、当地においてだから。

名古屋との距離感はそのようなものだった。

記憶にある始めての動物園は東山だったし、豊橋の駅ホームで初めて食べた、花かつおのたっぷりかかった、生卵入りのきしめんの味は、今でも父との語り草になっている。

東京タワーを見るよりテレビ塔の方が7~8年も早かった。

結婚した直後に、高校時代の親しい友人を尋ねたこと、女子大小路だったか「かに道楽」で贅沢三昧したこと…

そういえば、錦の伍味酉に通っていた、ちょうど同じ頃に、JAL123便が御巣鷹で遭難した。
まさに、その日、その時間に、私はその日の仕事を終わって、移動のために名鉄BCにいたことの記憶も鮮明だ。

ここ1年半ほどご無沙汰している名古屋。

お伊勢参りの通過点でしかなかった名古屋。

愛知万博、長久手の丘陵で車を停められずに通り過ごしてしまった名古屋。

東京より以前の都会的な原体験の地、かすかなれど、好い思い出の地である名古屋。

心機を一転したら、…できたら、晴れ晴れして再訪したい名古屋だ。


<おしまい>


2007年12月9日日曜日

昨日・今日・明日…の中における「今日」のこと

余すところ3週間ほどとなった師走の日曜日に、水汲み、温泉、買出しなどのために外出した。
世の中は大概が気忙しそうなところだが。
久しぶりだった。

私の分だけ、たった一人に限って瞬間を切り出せば、そのストップモーションは恐らく極めてゆったり流れている風を写し出すだろうが、しかし人知れず内側はそうでもなく。

ところで、先週末に入った一本の電話で、明日は先月19日・20日にあった事案以来、別のフェイズでの大きな事案が予定されることになった。

それは結果の良し悪しを問われる事案だが、それは誰のための良し悪しなのか。
私としては局面が打開できる向きの結果であれば、それを良しとする立場だ。
ぜひとも、電話の主の意に沿うて貰えれば、私もそう願い、そうと努める立場かな?

陽と陰、プラスとマイナス、凸と凹…、その延長線上に結果として利と害があるものの、ぜひとも平穏にゼロサムで話がまとまって、貰いたいものだ。

ゼロシーリング…、幸せの総和はゼロ…、どんな例えでもいいから、

他力本願だが「事案よまとまれ!」。


一方の利のために力を尽くして話をまとめることが、結果としてその利にも害にも組しない、私にとっての利なのだと思う。
さまざま考えた末に、明日のことは、そう決めた。

今日の外出行はそうした結論のためだった。


さて、ここで気分転換のこと。

以下に日常の些細な幸せを記録する。



本日の成果は多々あったが、
出色は美味そうな「ネギ」を発見したことだ。

土付きだったから、なおさらのこと食指がのびた。

家人の反対を押し切って、3束購入し、
家に帰って深~く土に埋めた。

価格のことは…キレイな面したネギ3本で100円…
それを通り相場とすれば
此度の画像を参考に1束200円で換算すると…だ。

これより先、長らくの厳冬に耐え、
かつ、
冬の常食として安定供給に資するべきと企図した。



加えて、「大根のゼイタク漬け」のために大根5Kgが成果。

一体全体、何がゼイタクなのか…?

ザラメがタップリ入るから、とは家人の解説。

せめて「大根」くらいはゼイタクに…の心持ち(笑)だ。

大根の値段の方が、調味に必要な材料の価格より安いとか。
ぜひ、心より失敗しないで欲しい…と切望する。


最後に…
先日に紹介した水汲みの成果もあった。
今回は4リットルの容器が4本増えていた。
都合20本
…。

(左下に片鱗が写りこんでいる。)

それが焼酎甲類の容器となれば、
その容器数の増加分に相当する内容物の消費の主は?

いったい、だれ…?

明日が転轍点になりさえすれば、
もはや、これ以上に消費の主を追及されることもない…
だろう。

ひたすら、結果を願うばかり。

いつのまにか再び明日のことに気を奪われてしまっている。
いかんいかん。

では、本日はこれくらいにしておこう。


<おしまい>

2007年12月2日日曜日

祝 BSデジタルTV局 開局!

さて、先に拙稿で触れましたBSデジタルの開局に関する続報です。

この件は、昨日つつがなく本放送が開始された様子です。
とりあえず、おめでとうございます…というわけ。

さて、その第一印象は…?

自分で、自分のことを大人だと信じ込んでいる、この私が申し上げるのは、
たとえば、子供さんが何かを評して
「子供っぽい…」
と言っているようなもので滑稽な気がしないでもなく、正直申し上げて少々気が引けるのですが、恥を忍んで
「大人っぽい…」
と思います。

初日から、それぞれの局に、各独特の「色」を感じることもできましたし。
◎BS11デジタル : http://www.bs11.jp/bs11.html
◎TwellV     : http://www.twellv.co.jp/index.html

前者は、映像技術に関する挑戦的な試みが随所に見られ、あるいは、今後にそう期待させるものがあります。
主要な株主構成を見ても、然りと思います。

後者は、前者に比較すると平穏無事な感じです、いい意味で。
三井物産が100%出資…と聞くと、さもありなん。

人それぞれ、好き不好きがありますので、どちら派であっても結構なことですが、私は映像技術を駆使した新しいマーケティング・メディアとしての印象を抱くに十分な「BS11デジタル」に惹かれます。

さて、久々に「メディア」と記してしまったら、マクルーハンのことを思い出してしまいました。

TVとインターネット、いずれがホットメディアでいずれがクールメディアと定義されるや、当初に彼がそう定義した当時と、特にテクノロジーの上に成り立っているメディアについては、イノベーションとともに変質しつつあって、したがって、定義も変わったように思えます。

そもそも、いずれもがメディアとして、それぞれの特性を生かしたメッセージ性や表現が成り立ちさえすれば、互いに覇権を争ったり、そのために干渉しあうことは無かろうかと思うのですが。

ただ現実には広告の出稿先として、その予算の向け先を争うことになると、そうも言っておられないでしょう。

一枚のパイの大きさが決まっているとすればの話ですが、一方がたくさん食べたら、もう一方は腹を空かすことになるわけで。
地上デジタルだとか、BSだ、CSだ…と言ってみても、所詮TVという内海のこと。

ただ、今般開局した両局が外海に打って出て、今後にインターネットとどう絡み合うのか、合わないのか。

カウチに座って、ポテトチップならぬ煎餅でもかじりながら、ゆっくりTV観覧といきましょう。


<おしまい>


2007年11月25日日曜日

12月1日から ~BS11 & BS12 のこと~

つい先日のこと、TVを観ていた家人が
「あれ? 何だろう…」と。
BSのチャンネル域をコントローラーボタンで行き来していたときのことだった。

わが家のコントローラーでは、プリセットでBSの「11」、「12」を押しても何ら反応はない。
しかし、チャンネル番号入力(3桁入力)で「211ch.」 と 「222ch.」 に合わせたとき、これまで見たことのないアイコンが右上の角に表示されるという。
最初は、何かの間違いかとも思ったが、私が同じことをやっても、確かに表示されている。

数日して、また合わせてみたら今度は試験電波を発している。
テストパターンあるいは風景画像が流れている。
全然、知らなかったし、同チャンネルの告知プロモーションを見た記憶も無い。
早速、Web検索で調べたところ、以下のような結果だった。

要するに、新チャンネルが、この12月1日にオープンするというわけだ。

BS11ch. : http://www.bs11.jp/bs11.html
BS12ch. : http://www.twellv.co.jp/index.html


当地にもケーブルテレビ局はあるものの、40以上にも及ぶ多チャンネルはわが家には「宝(?)」の持ち腐れ。
契約はしていない。
既存の地上波とBSのチャンネルの範囲で十分と思っていた。

ところが、望外に無料のチャンネルが増えるというエポックはあまり経験の無いことで、したがって真にゲンキンなもので、どんな番組が放映されるのか、にわかに興味が沸いてきた。

wowwow! や Star Chanel の誘惑にも負けることなく、ここまで頑張ってきたのに、「無料」という超ど級のインセンティブには敵わない。

さて、ここに掲げた2つのチャンネルのサイトを拝見する限り、対象年齢は「高い」と直感した。

狙われた通りの適齢層なのか、いずれにせよ正式に運用が開始されたら、この辺りはハッキリする。

話は違うが、この2つのチャンネルが運用されるjことの告知を、ここまで知らなかったのは、
  単に広告の出稿量の問題なのか…、
  媒体の問題なのか…、
  決定的に当方の感受性の問題なのか…、

別の興味が沸いてきた。


読者の皆さんのうちには、随分と以前から承知の方も多かろうと思うが、お節介にもサイトのURLを示したので、訪問されてみては如何か。


<おしまい>


2007年11月14日水曜日

山茶花とハイビスカス


先週レポートの後日談。





石楠花は季節のとおりに無事(?)に花を忘れてくれた。


そして


蕾のままだったハイビスカスは期待どおりに花を付けた。











夜来の雨が上がって、咲いたばかりの山茶花に彩を与えている。


花は昨年より一週間程度は早く、しかも花弁の色は心なしか濃い。


昨年の暖冬のことを思えば、今年は多少なりとも厳冬の予感。


ただし、


もっと厳しかった冬の記憶が確かにある。


「厳しさ」の、あるいは「優しさ」の「ものさし」が


あらゆる場面で変移しているのか。








山茶花が花ほころぶと


母の命日が近いことを知らせてくれる。





……。





2007年11月6日火曜日

Windows2000 セットアップ…苦行のこと

訳あってWindows2000のセットアップをすることになりました。

ここのところXPばっかりだったので、2000には苦しんだこと。
特に難しいことはないのだけれど、ネットワークの設定、セキュリティーの周辺…、面倒lくさい。

経験してたハズなのに。
XPで慣れちゃったばっかりに…。

MacからWinに、取りあえず併行して、やがて移行して、その当時の相当なカルチャーショックを再びか…の感想です。

ところでSCSIの時代を経てUSBが台頭してきた頃にもあったけれど、この辺の環境を生まれながらに享受している世代は幸せというか、当世代からしたら恐ろしいというか…。


まして、いまや、ケータイの時代。
何たって、片方の手の平・指先だけで、大概のコミュニケーションを成立させてしまうわけだから、危ういといえばそうだし、スゴイと思えばその通りだし…。

XPがすごい…なんて思っていた輩にはケータイのすごさって理解不能なのだと思う。

第一、○△メガネを額に押し上げて、ピクピクしながら太い親指で小さなケータイのキーを必死に追い掛けているいるようじゃ、世代間ギャップは2段階も、いやもっと3段階、それ以上の隔たりがあって、当方の外であることに間違いはない。

セットアップだが、日がな一日、いまだに苦闘している。
日が変わらないうちに、とりあえず公開しておきましょう。

後悔する前に…公開な~んてね。


<おしまい>


2007年11月4日日曜日

Thanks! ささやかなれど、いとおしき秋の恵み




ご紹介します。

わが家にもたらされた、ささやかな秋の恵みです。












パプリカの恵みを同じく自家のルッコラとオリーブオイルで和えて、

「今さら」 ならぬ 「imaサラ・ダ」 の完成!












友人から頂いた天然の「黄シメジ」と自家のパプリカのツーショット。

この後、黄シメジは味噌汁の具に。

ウ~m…、ちょっと苦味が勝ちすぎかな?

すき焼きなど、濃い味の方が合うかもしれません。





<おしまい>


2007年11月3日土曜日

文化の日の光景

今日は文化の日。

朝から晴れ。

遅い朝食の後に庭いじりでした。


午前中で終わらせるつもりが、終わってみれば午後3時すぎ。

万事、行き当たりばったり…、計画性の無さを露呈です。

今回は珍しく写真で構成してみます。





今日発見!

庭の石楠花が花をつけました。11月というのに狂い咲きです。

明日には咲くでしょう…、明後日以降の花かな…?

たくさん蕾みが付いていて、楽しみです。





屋外で咲かせていたハイビスカス。朝の冷気で葉が黄色くなって、

最近まで盛りだった花が一段落…、

玄関の中に入れてやりました。





蕾を付けていない枝を剪定して小振りにし、蕾は残しました。

花が終わったら枝から順番に剪定し、冬支度です。





小さめな玄関ホールが一層のこと狭くなりました。


<おしまい>


2007年10月31日水曜日

ブログに関するある私的トライアルのこと

先週の日曜日を初日として昨日まで、ちょっとしたトライアルをした。

自らに課した
「一日一万字回峰」
なる修行(笑)だ。

かねてより思うところあって、ある指定されたテーマに基づいて、つまり、原稿依頼に沿うスタイルで、一体どれほどの文章を「生産」できるものか、試してみたかった。

この3日間に記事のアップが極端に集中しているので、異変に気付かれた方も多いと思う。

「どうかしちゃったの」
心配して(?)問い合わせも頂戴した(笑)

さて、生産量の目安は1日1万字。

その根拠は、仮に30タイトル、仮に1タイトル当たり平均400字、これを週4回アップするとして、文字数にして4万8千文字。これを5日間に分けて書き上げると、1日当たりが概ね1万字。

400字詰め原稿用紙にして25枚/日となる。

テーマ選びは、その別によって「書く・書かない」の判断をすることを避けて、案件があったら粛々と書くことにした。

テーマによって得意不得意があるのは確かなのだが、選り好みすることを避けた。

(不得意テーマをアップする順番は後回しになったが…笑)

さて、結果発表…。

まず、要した時間のこと。

ほぼ3日間、朝8時頃から21時頃まで、約束があって毎日決まって出掛けるに要した1時間と食事・休憩等の時間を差し引きし、概ね10時間/日となった。

労働基準法に規定された週40時間就労に照らすと、毎日2時間、週10時間、月40時間程度の残業ということになるか(笑)。

次に生産した文章の文字数のこと。

今回のトライアル中にアップしなかったものまで含めて、1万字/日に届いた。
アップしなかった分は、いずれ時を改めてアップすることにしているので、これも生産に含めた。
ただし、書き上げたら即アップしたので、クライアントなど、第三者によるチェックを経ていない。
したがって、とりあえず文字の量を目安として、「数値目標を達成」したものと考えている。

時間と生産量の関係が飲み込めたように思う。
内容や文体のことなど課題も見つかった。

よくよく考えて、今回のトライアルに関してレポートしたい。

ペースダウンして、ゆっくり書くことにしましょう。

p.s.
自分でテーマを見出して書くことを継続する、そのことの難しさを改めて感じた。
他からテーマを与えられて、一定の条件下で書くことの方が、創造性という点では難しくないのかもしれない。
文章の総量と締め切りのことを除けばだ。

自分のテーマで書く方が、そのテーマ選びから始まって、余ほどのこと高いクリエイティビティーが求められると思う。


<おしまい>


2007年10月21日日曜日

ぬめりイクチ の ビフォー・アフター

【続報】
昨日、記しました拙稿、
古畑権兵衛も食した?…「ぬめりイクチ」
の続報です。

アンタッチャブルはどうでもいい話ですので、「ぬめりイクチのビフォー・アフター」と題します。

お約束(?)のPhoto…美味しそうに撮れているとは思いませんが、記録として留めておきます(笑)ので、よろしかったらご覧下さい。

「イクチ」をよくご存知の方には違和感があるかもしれませんが、わざわざグリーンファームの売り場で専門家に確認したところですから、皆さんもそうとしてご理解下さい。




料理の方法は、家人と協議・思案の結果、味噌汁としました。
具は
「ぬめりイクチ」のみとし、他にゴタゴタと何も加えない、シンプルなものです。
きのこの香りや食感を最も強く感じることができるだろう…そう思ったからです。

ただ、「彩」という点では、味噌汁の色に同系のきのこが溶け込んで、華やかさはありませんね。
質実剛健?
イクチの味噌汁の場合は、煮込んだ後に濃い紫色ともいえる独特の色に変化しますが、「ぬめりイクチ」の場合は、笠の裏、石突の白い色もそのまま…、際立った色の変化はありません。

さて、ヌルヌルした食感というと「なめこ」が連想されます。

「なめこ」の味噌汁の場合、あの「なめこ」の一群全体に絡まるような、包み込むようなヌルヌル感が特徴ですが、「ぬめりイクチ」は明らかにこれと異なります。

「ぬめりイクチ」を口に放り込む…、舌の先で転がす…、するとその笠の表面から一枚の薄衣が剥がれるような、体験したことの無い独特の食感に見舞われます。

薄衣が剥がれる様子について、私が知る限りの擬態語を動員して、中から適当なものを一つを選ぶとすれば、「ツルン」ではなくて「キュルン」です。



「なめこ」の一つを箸でつまもうとして苦労したことがあると思いますが、「ぬめりイクチ」にはそれが無く、箸の先で例の薄衣のような膜までつまむことができます。

香りは強くなく、料理前に生のまま置いておいたら、
むしろそれが生えていたのであろう森の中の…、あるいは宿としていた木株の…、その辺りに厚く折り重なった腐葉土の…、確かにそれらの香りが立っていました。

でも、料理したらむしろ香りを感じさせないくらいに、目立たない…、あの独特の食感に遠慮したのかなと思わせるほど、控えめでした。

ところで、この「ぬめりイクチ」に加えて、もう一つのご馳走がありました。

家族ぐるみで親しくお付き合いさせて頂いている友人の方から、尊いお米を頂戴し、それを炊いて頂きました。

その方のご近所4軒(皆さん非農家です)で力を合わせて丹精した本年産「こしひかり」の「新米」。
しかも、「はざかけ米」プラス「精米したて」ときましたら、味は折り紙つき。
生産された方の顔がハッキリわかる訳ですから、尊さも一塩です。

水加減に気をつけて、いつもより少しだけ控えめに。
炊き上がりの釜の蓋を開けたとたんに、あたりを漂う芳しい香りは、何とも言いようがなく。

「新米のご飯」と「きのこの味噌汁」の協奏あって、秋を満喫することができました。

改めて季節の恵みに感謝です。


<おしまい>


2007年10月20日土曜日

古畑権兵衛も食した?…「ぬめりイクチ」のこと

今日は、朝からプライベートで遠出を決め込みました。

ご本人曰く、恥ずかしくも目出度きは…、なにを隠そう当人の誕生日…その当日のこと。
何回目かは、ここでは触れずにおきましょうとは、筆者の情け也か?。
家人の内諾も承諾も無いままの筆耕につき、開示未了のことについては読者の皆様にはご海容の程を願うより他ありませぬ(笑)。

さて、いつも立ち寄る産直の店を数々訪ね歩きながら(品揃えと価格のチェックが主ですが…)、伊那谷と木曽谷を結ぶ権兵衛トンネル(平成18年2月4日供用開始)に近い、グリーン・ファームに寄りました。

ここは、権兵衛トンネルによって「伊那の谷」と「木曽の谷」…いわば、平地を優先したがゆえに開発から取り残されてしまったと思しき両谷間の地域に、まさに風穴を空けた道路、実際にはトンネルとして、両方の谷の生活圏と経済圏を一つにした…そうとして、地元の評価が高き開発だったのです。

とりあえず、所期の効果あってか、トンネルの一方の連絡道路口付近には、中京方面ナンバーを主に、関西ナンバー、そして東京・関東圏ナンバーが入り乱れて…(定量的な順位を示すものではありません。筆者の定性的観測に基づく一種の偏見に基づく表記です。正確には国土交通省の所轄にお問い合わせ下さい…?)、活況を呈しているわけです。

そう思い起こせば、木曽谷側に位置する、漆器と宿場風情のある村の公式な村勢要覧を制作するにあたって、ディレクターとして関わらせて頂いたことがあります。
その折には、この権兵衛トンネルがいずれ開通した暁のことも記しながら、企画し、構成し、執筆した記憶が蘇ってきました。
若いカメラマンを連れてロケハンかたがた権兵衛峠の突端を訪れたことがあります。
ここに設置された高圧の送電鉄塔を象徴的に撮影するよう企図し、
「古畑権兵衛が見た夢」
というヘッドコピーを配して、木曽と伊那の新しき交流の将来について触れた…、そんな10年前を思い出しました。

さて、この辺でテーストを変えませんと…。
突然ですが、この先、本論に移ります。

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イクチのきのこで今晩、誕生日の夕餉を飾るべき副食を構成しようと、かのキノコを求めてグリーン・ファームに至ったわけだが。

?… いつもと違って、やけに騒々しい。

日常を引き裂くデカイ声にデカイ顔。
明らかにそうと分かる「大げさな台詞」(構成作家の言うとおり?)が飛び交って、当地は尋常ならぬ雰囲気に包まれている。
お笑いコンビ「アンタッチャブル」と視た。
あのデカイ顔に一方は細めの眼鏡。
確かに…間違いない。
当地では、蜂の子やザザ虫、イナゴやヒビ(蚕のサナギ)を食する…つまり、昆虫食の伝統というか歴史があったものの、しかし、既に一定年齢層以降には概して受け入れられない傾向があるのだが。

テレ朝と思しきその番組は、これをもって1ヶ月間暮らせるか(当方は番組名には不案内だが、直感の読者も多かろう)をテーマとする企画のようだ。
あのデカイ顔によるイチイチの台詞を遠巻きで聞いていると、おそらく…、その手の企画であろうことが分かる。
気がつけば、家人は遠巻きにケータイのカメラをかざして…。
と思いきや、オレンジ色のつなぎ服を、着たような、それでもって上半身脱いだような、いい加減にセイ…中途半端な格好をしている(着るなら着ろ、脱ぐなら逃げ…)、やけに敏捷性に優れた若者から

「ちょっと…、写真撮影はご遠慮…ウヤムヤ…m…n…zzz…」
と、制止と理解できる意思の表明。

家人が場所を変え、タイミングを異にして、都合3度試みるも、見事(笑)に制止が貫徹された、とか。
でも、ちょっと待てよ。
さっき、明らかにメイン・キャストの後方に位置しながら、カメラは正面に位置して、さすれば明らかにそのカメラが回っていた際の、確かに撮られたハズの…、私の肖像権はどうなるの?

勝手に画像を「イタダキ」にしておいて、編集で活かすも殺すも、私らの了解無しでしょ?
なんて、ちょっと難しいことを考えながら、買い物を続けた次第です。

その最後に、かのアンタッチャブルが出て行って静寂が戻った以降に…、目的のイクチを見つけた。
まさに秋の恵み!
今日の誕生日の食卓を飾ることになった。

写真を撮ったりしたが、今日は遅くなったので、明日以降に改めて掲載しようと思う。
いつものイクチではなく「ぬめりイクチ」とか。

味噌汁にせんと、その前処理をしていて、手触りが確かにいつもと違う。

その後に、指先に優るは舌先か…
満喫した。

今日の誕生日は最高だった! かな?

あの、デカイ声で圧倒されて嫌気がさしたけれど、「ぬめりイクチ」に出会えた訳だし。
誕生日祝いのこと…良しとしよう。

本人評価は別にして、あくまでも私なりに…

返す返すも、おめでとうございます。


<おしまい>

使える写真などありましたら、明日に処理します。
期待しないで待ってて下さい!(笑)


2007年10月18日木曜日

引き続き : WEBおよびBlogにおける匿名性の問題について

昨日(07/10/17)に記した「WEBおよびBlogにおける匿名性の問題について」と題するブログについて、私なりに再考しましたところ、07/07/18付けの本稿タイトル「BIZLOGに関する整理」の上にて、以下の記述をしておりました「BIZLOGにおける匿名性」について、ご参考下さい。

----------------------------------------
・ブログ上での匿名性は廃す。
→ 企業や事業に関連した内容である以上、情報の発信者側は常に表に対して姿を見せていること。
→ ただし、記事の中で企業や事業に属さない第三者の個人名などは、本人の了解が無い限り明らかにしない。
----------------------------------------

つまり、BIZLOGの筆耕を請け負うというビジネスモデルにおいては、筆耕担当側で遵守すべきポイントとして、「匿名を廃する」もしくは「依頼に基づいて筆耕していることを明記する」ことが必要です。
コンプライアンスの問題と自主規制とは異なります。
根拠法を思い当たらない以上は「匿名にする・しない」は自主規制の範囲になります。その結果、私の考えでは、BIZLOGの「代筆」を依頼または発注した側との合意がない限り、そのブログのオーナー名は実名にすべきと考えます。

ただし、クライアント・サイドの同意または指示に基づくペンネームの使用は、ブログ上のニックネームあるいはハンドルネームとは別のものとして、これを許容するものと考えます。雑誌記事などに見られるペンネームと同じです。


<おしまい>


2007年10月17日水曜日

WEBおよびBlogにおける匿名性の問題について

タイトルに表わしたテーマについて、あまり大上段に構えると話が大きくなりそうな予感がします。

ただいま、まさに大きな社会問題となっている匿名性を理由とする様々な犯罪の発生、また、それらの誘発関連性について、あるいは裏ネットだの自殺サイトだの、きっと避けては通れなくなるだろうと思います。こうした背景から、フィルタリングの導入に関する検討も具体化に向けて議論が進展している模様です。

自分でテーマを設定しておいて妙な話ですが、社会学者でもなければ犯罪心理の権威でもない私が、この場であまり深入りすることには、本能的に危険を感じてしまいます。

ただ単に感じたことを述べるだけならともかく、このテーマで責任を持った意見を他人様に向けて発表できるほど、理屈や実証を積み上げている訳ではないので、もっとテーマを身近な場面に限定して、例えば私的心情の吐露など織り交ぜたりしながら表してみたいと思います。

話の発端はこうです。
どちらかといえば読むことが好きな家人とともに、気軽に始めたブログでした。
(タイトルはここ最近に変更したもので、オープンした当初とは異なります。)

PCのセッティングやブログの登録、その維持といった役割と、もう一つは記事周りの題材集めや構成など、大別してこの2つの役割が合体して始まったのですが、その頃に匿名性がどうだ、こうだと感じるわけがありません。
しかし、名前入りの記事として書き分けでもしない限り
「ブログ上に現れる人格(?)は一つだね」
ということに、頭を悩ましたのは確かな記憶です。
ワープロ代わりに何かしら書き留めるくらいで、PVが一日一桁、間違って20そこそことか言っているうちは良かったのですが、どうせならアクセス・アップしようということで、SEO対策したりして、PVの上昇過程を確かめるのは楽しみでもありました。

というわけで、現時点で私たちがメインで動かしているブログは、例えれば漫画の藤子不二雄さんのような状態にある、つまり、ここでは「ブログ妻」と「ブログ夫」の合作ブログなのです。そして、ややこしい話ですが、Googleに場所を借りて本稿を起こしているのは「ブログ夫」なのです。
途中からは「Blog Press Agent」と称して、ブログを介したマーケティングのビジネスモデルの実験場としても意義がありました。
ここに来て外部からのリクエストに応じ、つまり、ニュースリリースを題材にテーマに沿った記事を起こす…、与えられた一定の制約の下で文書を起こす、いわばブログ上の売文業としてトライアルしているところでもあるのです。

ここで、匿名性と私たちのブログ問題について整理します。
つまり、
1.スタートした当初と環境に変化が生じた。
2.まじめに読んで下さる読者の方(失礼な表現ですが他に思い当たりません)が増えた。
3.自己満足には留まらなくなってきた。

友人、知人、それらの方々から人伝に伝播している程度だったら、
「実は、こういう事情なんですよ」
と、口伝に旨を伝えることができるし、そうしてきました。
しかし、気付いた頃には読者の方は面的に拡散しておりました。

PVは多くはないが安定的に一定数を確保しているので、何かしら覗いて下さっていると思います。中には、ご自分のPVのためと割り切っていらっしゃる方がいらしても当然だし、そのことは割り切って考えられます。お互い様ですね…と。
しかし、見も知らずのまま、そうと信じて読んで下さっている方々に対して、少なからず気まずい心持になってきていることも確かなのです。

匿名性との関連と言っても、間違っても「匿名だから」書いてあることに嘘がある、あるいは虚構をもって他人様を誹謗中傷したりする目的のものなどではありません。
ですから、ブログの内容をして「気まずく」なっているわけではありませんので、ご安心を願いたいところです。

かつての勤め先で社内ベンチャーとかの触れ込みで、出版社を起こす企画の当初メンバーだった頃に「なんとか研究会」とか「かんとか委員会」といった人格が表に出ない名前でもって編著者を立ててゴーストしていたときの、あの感覚に似ており、その頃のトラウマなのかもしれません。


<おしまい>


2007年10月14日日曜日

厄年 後日談

先日のお約束…決行しました。

その神社で厄年のことを写真に収めてきました。
ご参考ください。

厄年

正解を確認できましたか?

前厄・後厄のことは知っていましたが、先に触れることはありませんでした。
それに加えて男女共に13才のこと…、初出でしたね。

ところで、心の拠り所を神仏に求める思想は、学生時代には何れかといえば頑なに否定し続けていたことの筈なのに…。
ルーツを訪ねるとかにかこつけて、結局はそこに何かを求めようとしている…。

家内安全、商売繁盛、交通安全、無病息災などなど…私とは欲張りな俗物であることか。

とは言いながら、やはり神様仏様…なのである。


<おしまい>

2007年10月7日日曜日

厄年

先日、私のよく行く「集会所」でのこと、厄年の話になった。

集会所の長老は
「厄年には、友人と共に厄払いをした」
と、そのときのエピソードを語ってくれた。

厄払いで詣でた神社で
「厄年とは何歳…」
という神社の掲示を観て、納得したと言う。

さて、いわゆる大厄における厄払いは認識しているが、果たしてその前後はどうなっているか…という話になった。
つまり、いったい何歳が厄年なのか…である。

集会所の参加者は、男女を問わず、その大厄を無事に過ごしており、その前後の認識はそれぞれ希薄であって、確たる年齢を参加者の鳩首協議で特定するには至らなかった。

私を筆頭に
「喉もと過ぎれば…」
の構図かな?
大厄こそ喉もとに在って、それを過ぎれば前後は認識のうちに無い…のかな。

それはさておき、
講学上「厄年」とは…の疑問に駆られて、早速調べてみた。

ここからはWikipediaから「厄年」の項を引用する。

【一般的に男性と女性の厄年は異なり、本厄は男性の場合は、数え年で25歳、42歳、61歳、女性の場合は19歳、33歳、37歳とされている。特に男性の42歳、女性の33歳は大厄と呼ばれ、凶事や災難に遭う率が非常に高いので十分な警戒を要するとされており、語呂合わせでも男性の42歳は「死に」、女性の33歳は「散々」に通じる。】

ということは…、である。
私を除いた、長老および集会所の参加者面々は、もはや無事いずれにも該当することなく…つまり、目出度くも皆ご安心のことだ。
残されるは果たして私のみ、というわけで一考した。

ことある度に詣でている神社がある。三河国一の宮、砥鹿(とが)神社だ。
それは、私に確たる系図があるわけでは無いが、親戚筋などの話を総合すると、遡ること前三代までは皆が知る、そして、少なくとも私にとっては”心のルーツ”といえる拠り所だ。

さて、家人も含めて、今年がわが家に関係する人々の厄年や、まして大厄にあたる年ではない。

しかし、近いうちに詣でることにしよう…そう、決めた。

近場ならともかく、クルマで一日がかりの先だけれど、東京にいた時にも高速を飛ばして何度となく詣でた先だから。

例の集会所で、厄年が話題になったことも何かの導きかもしれない。

先週末のこと、わが身に降り掛かった重き役目にて、篤く壊れた心を救ってくれることを祈って…そう、決めた。


<おしまい>


2007年9月17日月曜日

歯周病治療のこと

もともと歯周病のことが気にはなっていました。

最近になって、いよいよ右の奥歯の3番目が痛い…
冷たいものが歯に沁みる…
熱いものまで沁みる始めた…

そう言っては右の頬を上にして咀嚼している様を見かねて、妻の一言。
「虫歯じゃあ無くって、歯槽膿漏じゃないの…」
ということになって、やっとの決心で重い腰を上げたわけです。

行きつけの…しかし予約制の歯医者に、
「急に歯が痛むのでなんとかお願いします」
と、平日の9時から…まさに口開けの予約を獲得して、覚悟して向かいました。

さて、1時間程で家に帰って様子を見ていましたが、何かがおかしい。

次第に局部麻酔が解けてくる…
うんっ…
まだ痛い…
治っていない?

そう言いながら、妻の前で大きな口を開けて奥を視てもらったところ、治療痕が認められるのは奥から5番目。

「ここが痛い…」
そうと伝える方の、伝え方の良し悪しもあるけれど。
「たしか、奥から3番目って言ったよなあ」
と振り返ってみても始まらない。

結局、歯医者から帰った1時間後には…
「もう一度、行ってくる」
そう言って、出掛けました。
歯医者嫌いの私が、躊躇することなく
「もう一度…」
余ほどの痛みがそうさせたのです。

それにしても、1本飛ばして治療するとは、受ける方も受ける方だけど、施す方も施す方です。

さすがに2回目は初診料は掛からなかったけれど、保険診療でほぼ5千円の出費です。

その上、歯槽膿漏に効くとかいう、高額の薬用歯磨き粉の購入まで勧められる始末です。
1回目の際には何のオススメも無かったのに、今思えばこれも変。

「家では『アセス』を使ってますので…」
とか言って、生返事して帰って来ました。
事の軽重はあっても「誤診」なわけで、考えようによれば左右の腎臓を取り違えて手術されたようなものです。

そんなわけで、治療後の痛みを我慢しながら、釈然としない気分が溢れておりました。
とはいえ、大きな穴が開けられたままの治療中の歯を連れて、転院する程でもありませんし。

しかし、なんとか痛みが治まった夕飯の頃には、歯に丸ごと詰まってしまうご飯粒を気にしながらにでも、食事が摂れました。

空腹が満たされると、気分も落ち着きを取り戻したようで、とりあえず今日のところは良しとしましょう…という気持ちになりました。

さて、これからどれほどの期間が掛かるやら、長期戦になりそうです。


<おしまい>

2007年9月16日日曜日

コントラータ

コントラータとは、「集落」のこと。

軽井沢に芸術家が集まって…そう、アート・コントラータを形成したとか。

集まる力が羨ましい…

群れないことを旨としてきた私の基本姿勢からして、芸術とコントラータの関係について、今ひとつ理解できないところがある。

考え方しだいだが、芸術家…って、そもそも何なの、そう考えてしまう。

クラフトとアートの境目って何?

知らないうちに芸術家の一員にされてしまったクラフトマンも大勢いると思うけれど、結局のところ催事を企画する側の考え方の違いかな?

もし、僅かなキャッチコピーの違いで、アートとクラフトの差が出る…そんな程度ならいいけれど。
あまり大上段に
「アートです」
って宣言されると、ちょっと退いてしまう。


<おしまい>

2007年9月12日水曜日

拝啓 安倍総理殿 …今さらお辞めになってどうするの…

拝啓 安倍総理殿

今さら、お辞めになってどう責任をとるおつもりですか?

そうです、こんなタイミングでお辞めになったことの責任です。
そもそも、お辞めになってしまわれては、責任の取りようがありませんか。
それとも、責任の取りようが無くてお辞めになられたのですか?

庶民感覚としては……遅い。
卓袱台をひっくり返して怒っています。


なぜ?
求心力が失われたから?
そんな理由ってありません。

だって、求心力が失われたことを如実に表したのが、例の選挙でしょう。
だから、参議院選挙直後からのことじゃなかったのですか?
求心力が失われた…そう仰るなら、それは、ひょっとして、もっともっと前からのことかもしれませんし。

もとより、ご自分が一番良くお分かりだったはずでしょうから。
だから、どなたにも相談することなく。

昨日は風邪気味とか仰って、だるいのかな? と心配していたら。
今日は、国民がとってもだるい…。

百歩譲って、お辞めになるんでしたら内閣改造前でしたね。
だれが考えても、最悪のタイミング。


ところで次の総理は?


それにしても

ほっとけん…日本。
そんなんに任せておいて、ほんとうに大丈夫?


<おしまい>


2007年8月19日日曜日

相変わらず暑い。

厚い…熱い…篤い…暑い。
間違えるほどに…暑い。

8月になって、ちょっと夏休みしていたら、もう半月以上過ぎちゃって。
暑いからブログもお休み、といったところ。

今日は多少、過ごしやすいかな、と思って温度計を見れば、室内で31度、床面28度。
OMソーラーの限界を超えている?
クーラー嫌いは当方の責任とあきらめて、ゆっくりお付き合いしましょう。

もう少し日が傾けば、やがて窓越しに涼しい風が入ってくるはず。
ブログでも書きながら時間の経つのをじっと待ちましょう。

24時間TVでも観ながら。


<おしまい>


2007年8月17日金曜日

観測史上最高気温 40.9℃

暑い。とにかく暑い。

昨日に「猛暑日」のことを書いていたら、まさにその当日には観測史上で最高気温を記録したそうな。
それも全国2都市で40.9℃とは。少しぬる目の風呂の温度か。

39℃程度のぬる~い湯が好きな私には、水でも足しながら、つま先でかき回してから浸からなければなりません。

とても空気の温度とは思えない…。

こう一言つぶやく程度で、今日もガマン…ガマンの一日が始まります。


<おしまい>

2007年8月16日木曜日

猛暑日

猛暑日?

さて、天気予報やニュースでこの「猛暑日」という言葉を耳にして、聞き馴染みが無いなぁ…と思っていたら、やはり、私の聴覚と記憶は正しかったわけで…。

もちろん、猛暑なんていう言葉は知っているし、使ってはいましたが、気象を表すアカデミック(?)な用語としては、初出だったわけですね。

つまり、「猛暑日」とは
最高気温が35℃以上の日のことで、 気象庁が今年(2007年)の4月1日から使用を開始した気象予報に関する用語とのこと。
11年ぶりの大幅な用語改正で追加されたうちの一つだそうです。

なみに「夏日」は最高気温が25~29℃、「真夏日」とは同じく30~34℃、
「熱帯夜」とは夜間の最低気温が25℃以上の日のことです。

しかし、地球規模の温暖化傾向の影響を受けてか、1日の最高気温が35℃以上の日がわが国でも1990年以降に急増。
この10年間(1997~2006年)の東京、名古屋、大阪、福岡、いわゆる主要4都市における35℃以上の日が計300日以上と、1967~76年の3倍近くになっているそうです。

このため、「夏日」と「真夏日」に加えて、35℃以上の日として特に「猛暑日」を定めて、これが登場することになったわけなんです。

そういえば、私が子供の頃の遥かに遠い、淡し記憶では、
「暑い、暑い」
と言いながら、寒暖計に目をやれば、指された数字は30℃が関の山。

32℃にでもなった日には
「暑くて死にそう」
と言ったか、言わなかったか。
とにかく辺りは異常事態だったような。

あくまでも感覚的な記憶のことで、記録があってのことではありませんが。
同年代の方と話すと、皆さん多かれ少なかれ同じような記憶を背景に、同じような意見をお持ちのようです。

そんな暑さの中、クーラーなんぞというものは、公共施設とか、客相手の商売の店舗とか、よほど大層な構えの家とか…に限られていて、庶民はといえば家の内に外に日陰を工夫しては、あるいは各所に水を打ち、団扇で体にかすかな風を装いながら、夏を夏なりの夏さと共に過ごしていた…そのような記憶です。そして、朝に夕に時間を選んでは真昼の暑さに痛んだ体を安め、明日には巡るであろう再びの暑さに備えたものでした。
そうした暮らしの中で、35℃なんていう気温を過ごした記憶は、ほとんど無いというのが確かなところです。


ところで、わが家は当節、家内中がクーラーを嫌って敢えて家に設備していないため、例年に比べてことの他、今年の暑さに対策の工夫が求められています。

積極的に冷房する設備の代替設備には決してなり得ないことは明らかなのですが、わが家に設備されているOMソーラー(いわゆるパッシブ・ソーラーの草分け的なシステム)をして、猛暑日には並々なら工夫が求められているのです。

設備して以来、夏の外出から戻って室内に入ると、確かに
「涼しい。これなら居られる」
そう直感できていたのですが、今年は部屋に入っても「ドッカーン」とした暖気が重く肌にまとわり付いてくる気がして、とてもじゃあないけれど涼感を得た気がしないことの日が多いのです。

構造上、OMソーラーに責任があるわけではなく、そうした生活様式を自ら選んで、そうと納得して暮らしているわが家に住人にとっては、この暑さを「苦痛」などとは言っておれません。
考えて、工夫して、対策して、必ず巡る次の季節を期待して、ここ何日かを乗り切りましょう。
クーラーのないことを自ら恨んではいけません。意地にかけても…です。

さて、そんな暮らし向きの納得を求められていること自体、かつて、私が幼かった頃の夏の日のことを思えば、極めて贅沢な話です。
しかし、やはり「猛暑日」を制定するに至った背景については、そんな私の実感や求められる暮らしの工夫によっても、しっかり裏付けることができそうです。

とにかく暑い!


<おしまい>

2007年7月31日火曜日

AdSense のリンクターゲットとして 「参議院議員通常選挙」について

先日のAdSense について記しましたのに引き続き、具体的な例を示してリポートします。


定時観測として本日7:30AM時点では、「Ads by Google」と表示されたスポンサードリンクのリンクは以下のとおりでした。

ブログ
ビジネスブログ
ビジネスブログ構築
ビジネスブログ作成

(以上、表示の順。但し、いずれにリンクされるかは当方では確認(クリック)していない)

おそらく、ここ数回にわたってBIZLOGやブログあるいはAdSenseに関連した話題が集中していたことを反映してのチョイスなのだと判断できます。
それ以前に、新潟県中越沖地震をテーマに1回だけコンテンツを作成した際には、まさに、地震・新潟それらをキーとしたリンクが表示されていた記憶があります。このことは既に記したとおりです。

したがって、ここまでにもそうした変化が見られたわけなので、これを受けて今日は更に変化を見てみたいと思います。

選んだテーマは「参議院議員通常選挙」について。

<以下、本文>

平成19年7月29日は、わが国の議会制民主主義における大きなターニングポイントとなるべき期待を込めて、私の記憶ばかりではなく歴史にさえも刻まれることになるであろう。
もちろんのこと、国政レベルの選挙で全てを記憶しているわけではないが、私には今回の参議院議員通常選挙を含めて3回の印象が鮮烈である。

今回は終わって間もないことから、記憶というには新しく、かつ、鮮明にすぎる。

以前の鮮明な記憶の1つ。
その選挙とは、あの土井たか子(日本社会党中央執行委員長:当時)をして「山が動いた」と言わしめた1989年の第15回参議院議員通常選挙である。

今から18年前のこと。当時の私は東京にいてMacを使って、いろいろ始めた頃だった。
まだ幼かったわが子の手を引いて行った選挙。出口で風船を2つ貰った画が目に焼きついている。
この時、自由民主党は今回をさらに下回る、これまた歴史的な大敗であった。

「山が動く」、「…動いた」とは、何かが変わるであろう期待を抱かせるに十分なインパクトのあるフレーズであっが、しかし果たして歴史は、そして私自身は、そうした期待に溢れた未来への変化を体感することができ得たであろうか?

今回の選挙も然り。
不鮮明な茫洋とした諦観を伴いつつ「歴史は繰り返す、されど人生は戻らず」か。

さて、もう選挙に関する一つの記憶といえば、1977年の第11回参議院議員通常選挙である。
選挙の記憶とは言っても、前出のものとは全く毛色が異なる。
つまり、現在の選挙制度と異なって選挙区が全国区・地方区とに別れていた時代に、ある全国区の候補者の選挙運動を手伝った経験のことである。

こちらはどちらかというと、私にとって政治の色は薄かった。
選挙に関わることになったきっかけといえば、ある政治青年が崇高な政治理念を具現化する一手段として…などと大げさな大上段の構えからではなく、若さゆえ多少のもの珍しさも手伝って「こわいものみたさ」、「好奇心」がきっかけだったように記憶している。

今は制度が変わったそうだが、いわゆる選挙運動員のバイト代は、当時として破格であった。
事前の準備(運動?とは言わず)から事後の収支報告など、後方付けまで含めて1ヶ月半も泊り込んで24時間仕事していたら、田舎から仕送されていた額の数ヶ月分を臨時収入として手にした。

しかし、きっかけは非政治的な、つまり金銭というある意味で純粋かつ明確な動機からではあったが、しかし開票当日の深夜に当の候補者が当落の線上ギリギリにあって(当時の全国区は50人が改選数だった)、選対本部事務所でハラハラドキドキした記憶である。

ところが、正直なところは○○党の本部で総裁の椅子に腰掛けさせてもらった…とか、
○○派の事務所がある△プリンスホテルに用を頼まれて行ったら、秘書がホテルの本格カレーをご馳走してくれた…調子に乗っておかわりした…美味かった…とか、
そこに派閥の長の△△がいて、とりまきの▲▲が出たり入ったりするのを見た…とか、
今思えば、そうした「ミーハー」な記憶こそが妙に鮮明なのである。

<本文ここまで>

さて、そのような私の記憶などだらだらと披瀝してみたところで、首相がどうするや、今後のわが国がどうなるや、こうなるやではないはずなので、この辺にしよう。

(私が政治に無関心なわけではないが、当ブログのテーマに鑑み、この辺にしよう…というのが正確なスタンスです。時と場所が許せば、論じるに事欠かないテーマの一つであることは間違いありません。)

むしろ、ここでの問題は、AdSense のリンクの表示に変化が表れるか否かです。

まず、今日やってみて、状況に応じて何やら変化が現れるまで、選挙をキーワードに試みてみます。

ひとまず今日のところは、ここまでにして、今後はコメント欄でフォローします。


<おしまい>


2007年7月29日日曜日

コンテンツ向け AdSense のこと

AdSenseに「コンテンツ向け AdSense」と表示されたサービスがありました。
好奇心に駆り立てられて当ブログでも設定させてもらっています。
その設定について表された説明文には次のようにあります。

「お客様のサイトの独自コンテンツをターゲットにした広告を表示します」

当初は意味するところが全く理解できませんでした。

しかし、注意深く観察してみると私の理解度を別にして、実によくできていることが分かりました。
ご存じない方のために、体験的な例を記します。
例えば、当ブログ内で先の新潟県中越沖地震について記した直後には、これをタイトルとしたリンクが表示され、その後には記されたコンテンツの変化に応じて、リンクのタイトルが変化していくことです。

・コンテンツに応じて広告のリンク先、つまり広告主が変化します。
・リンク先はピント外れではなく、コンテンツ内のタイトルやキーワードをある程度、正確に反映している。

以前に、ブログは従来のコミュニティーのようにユーザーを閉じ込めない、という趣旨の記事を書いたことがあります。共通する傾向を有する消費者を「閉じ込めて広告をする」場合と、ブログのようにトラックバックやRSSの機能により流動するユーザーに対して有効に広告する場合とでは手法が異なると考えます。

「コンテンツ向け AdSense」はこれに対する、解決策のひとつと言えます。

例えば、「信州蕎麦」のことを中心に記されたブログに、とにかく「蕎麦」に関連する全般のリンク先とタイトル、つまり広告主とコンテンツに関するリンク先が表示されていたら、そのブログを訪れた読者の関心事にヒットする確率が高いでしょう。

しかし、ヒットの確率が高いからといって、このリンク作業をブログを書いている本人が手作業で行うことは、現実的ではないことも事実です。
まして、それが商業広告であればなおさらのこと、広告主を見つけたり掲載料を設定したり、回収したりなどの作業は出来るはずもありません。

ブログのコンテンツをGoogle側で自動的に読み取って、関連する広告リンクを表示するというのは、非常に優れた仕組みなわけです。
もちろん、ブログのオーナーとしては表示して欲しくない、ある傾向の広告もあるわけですから、オーナーの設定により特定の広告主を選択して表示させることもできます。

固定化したコンテンツの表示を得意とするホームページとの差が表れています。


<おしまい>


2007年7月26日木曜日

BIZLOG像 -より具体的かつ鮮明なイメージ-

BIZLOG に関する、より具体的で鮮明なイメージについて表します。
その概念など抽象的なことを並べるより、ビジネスにおける具体的な場面を描いてる方が整理しやすいとの判断からです。
そして、私の抽象的なイメージを具体化するために。


商業登記された企業の当の代表取締役(代表だけではなく、例えば広報担当者なども想定内です)が、その企業の名前で、仮にニックネームであったにせよ、個人の名前と文責でブログを表すとしたら、おのずと内容に責任とビジネス上の方向性が表れることでしょう。

象徴的には、そうした代表取締役の立場に成り代わって、つまり、代行してブログを書くというイメージです。(客観的な取材形式なども有効です)

会社の代表者と完全に同等の責任や意識でブログをライティングすることは難しいと思います。が、でき得る限りの努力で100%に近づける姿勢でライティングができないか。
自分のことを散発的に思い立ったら書く…のではなく、クライアントのために仕事として継続的に書き続ける…広報担当スタッフの一部として。つまり、広報のアウトソーシングです。

筆耕については、とりあえず私の筆力に関して好き嫌いなど個別の評価はあったにせよ、問題なく提供できるものと仮定します。加えて、簡単なタグ操作でしたら「プロのプログラマー」を頼らない範囲で理解したり、処理したりできるとします。
その上で、仕事として大きく3つの問題があると考えます。

① そもそも、お客様が付くか付かないかの問題
② 上記①をクリアしたとして、サービスの提供価格の問題
  (「タダならいいよ」では商売にならぬことは明らかなわけで…)
③ ②に掛かるコストとのバランスの問題

結局は他のご商売と同様に「市場」と「収支」、「収支総額のサイズ」の問題に集約されます。
しかし、ここで最大かつ最重要のポイントは、再び戻りますが①の問題、つまり市場性があるかどうかというそもそもの課題です。


<おしまい>

2007年7月21日土曜日

Google AdSense のこと

AdSenseについて触れます。
いまさら、取り立てて私が評価するなどという立場ではないと思うのですが、WEBサイト用のテンプレートとして、その完成度の高さに驚かされます。
初期のMacユーザーにはWYSIWYGという言葉がありました(今でも生きているのかな?)が、多少のトライ・アンド・エラーを覚悟しさえすれば、まさに見たままをスクリプトとして生成してくれるわけで、素人支援の優れものです。


<おしまい>


2007年7月18日水曜日

BIZLOG に関する整理

Googleのサービスのことを発端に、友人とブログやECについて議論する機会を得ました。

私の中のモヤモヤ、つまり自分にとって何が適合していて、何がしていないのか、消去法的に整理ができた…そんな感じがしています。

① ビズログ(ビジネスブログ)とネットを介した販売、つまりネットビジネスの違い。
→ 前者は間接的な拡販あるいはマーケティング・ツールである。これに対して、後者はより直接的に商品や商材を売ってしまおう、注文をとってしまおうという宣伝媒体である。

ここで、上記のとおり定義したところのネットビジネスに
(1)適合する商品
(2)適合しない商品
があるであろうという仮説に立って考えると、適合しない商品はネット上で取り上げられないのか、取り上げる意味が無いのか、という問題があります。

まさに適合する商品は既に、ダイエットや健康食品、アクセサリー、家電その他、従来からの紙媒体による宣伝広告と併行して、明らかな実績を表しておりますことは実証されています。
したがって、多少無理やりの感も否めませんが、ネットビジネスに適さないとされる商品やサービスを如何にしてネットに乗せていくか、つまり、ネット上でダイレクトに売ってしまおうというのではなく、イメージアップや商品告知について考える余地があろうかと思うのです。
この点は、クライアントのコスト意識が高まれば高まるほど、広告効果が見えにくく、厳しい評価を受けるところです。つまり、この告知からどの程度の売り上げがあったか、注文があったかが見えにくく、広告コストを掛けづらい難しいところになります。

② ブログライターとは
上記①の議論の末に、あるいは、これと併行して「じゃあ、ブログライターの役割って何?」というテーマについて話しました。

「ブログライターとはブログ上で文章を表す人」と定義すれば、それきりなのですが、ここでは範囲が広すぎます。
ブログ上には必ず何らかの文章が載るわけです。例えばフォトグラファー系のブログにしてみても、表現の多い少ない、または軽重はともかくとして、何らかのキャプションされている場合が多く見られ、これもブログ上における文章です。
真っ黒になるほど、文字を連ねている当ブログにしても内容は文章です。しかし、それらブログを主催するオーナー自身がライティングする場合は、ここでは「ライター」の領域から外しましょう。
オーナーのために第三者として記事を書いたり、コメントを加えたり、リンクを張ったりした場合にのみ、「ライター」と定義します。
自分の日記帳に自分を記録することまで、ここではブログライターとしない…、そう理解して読んでください。
そうした上でここからが私の考えです。

上記①の議論で申し上げれば、ネット上の様々な場面で「ブログライター」と表現されている場合は、上記の分類における「ネットビジネスに適する商品」について、「ヨイショ記事」を書いて、それを介してリンクしたり、アフェリエイトしたりする場合(ここが、紙ベースとの大きな違い)を指すことが多いように感じます。

いわゆるアクセスランキングでは、その必要あってか積極的に上位を狙っている、あるいは結果的に狙わざるを得ず、小難しさや、理屈っぽさは敬遠される傾向にありそうです。
ここでは、そうしたことが良い・悪いという評価をしているわけではありません。
例えばですが、ダイエットや健康食品に、こねくり回した理屈は要らないのでしょう。かえって理屈っぽい表現は読者を失う、購買機会を失う傾向にありそうです。
いわゆる、ハード的なネットワーク上に構築された人的ネットワークを介して、一人でも多くの人の目に触れることが勝負で、そのためにはコンテンツの表現の良し悪しより、検索エンジン対策などが特に重んじられるようです。

したがって、日本語としての誤用や平気で「ら抜き言葉」や「こんにちわ」が横行を許すことになっているようです。まあ、ネットビジネスと日本語の乱れの因果を関係付けるのは、これまた乱暴な気もしますが、私の確かな印象です。
(私自身、記事の内容や気分によって文体が一定しておりません。使い分けているといえば聞こえはいいのですが、確たる依頼が無い限りは自分で使い分けている現状です。)

③ ここで再び「何が言いたいの」という疑問について
こうして、ザッと整理してみますと、私の考えているブログ上のライティングとは
「ネットビジネスの流行と逆行している」
という方向性が見えた気がします。
つまり、仮想BIZLOG上で行われることを想定してみますと、以下のとおりです。

・特定のクライアントの依頼があって、それ自体が独立したブログとして運営されること。
→ 誰かのブログの一部分を成す記事、いわゆる投稿やコメントであったり、リンク先の1つであったりすることではありません。

・ブログそのものは、直接に物やサービスを売らない。
→ 紙ベースの記事体広告(パブリシティー)のようなイメージでしょう。
→ 仮に別サイトに注文フォームやショッピング・カートなどあるようでしたら、そちらを紹介し誘導することはもちろんのこと有効です。

・ブログ上での匿名性は廃す。
→ 企業や事業に関連した内容である以上、情報の発信者側は常に表に対して姿を見せていること。
→ ただし、記事の中で企業や事業に属さない第三者の個人名などは、本人の了解が無い限り明らかにしない。

ますます堅物なブログのイメージになりつつありますが、これらはレギュレーション(自主規制という意味で)の問題であって、コンテンツの内容にまで及ぶものではありません。
広く遍く読者にとって興味ある記事、これを旨とすることが基本です。


<おしまい>

2007年7月16日月曜日

平成19年(2007年)新潟県中越沖地震

いま、ニュースを観ていたら今回の地震に命名(気象庁)があったそうな。
平成19年(2007年)新潟県中越沖地震 と。
当地においても、大きく水平方向にローリングするような、今回に独特な揺れ震度3を感じた10時13分。
「これは、どこかで大きく揺れている」、そう直感した次のタイミングで早速に津波警報が発せられ、そのTV報道を観て、新潟方面が震源であろうことを感じた。
ちょうど連休を利して帰省していた娘は、長岡の友だち、群馬の知人の安否を心配した様子だったが、その当時には何とも予断で安心を述べることもできず仕舞いだった。
結果的には「大丈夫」という結果であったようだが。

しかし、TV各局における番組変更は迅速だった。
連休の最終日(海の日)ということも影響してであろう、家庭における視聴の傾向を判断してのことと思った。
チャンネルをジャグリングしていると、各キー局ともヘリと現地への電話インタビュー、視聴者から提供されたビデオ、とほぼ傾向は一定しており視点の新しさなどは感じることができなかった。
それにしても、報道の適時性という点ではこれ以上はない…つまり、地震発生とともに報道室にカメラを切り替え、それ以降少なくとも6時間以上の連続したシフトには敬服する。
こんな非常時にソープドラマだ、お笑いだの事も無いだろうに…が、番組スポンサーであり、キー局の基本姿勢かと思う。
(正確には、既定番組にL字画面等の文字放送していたものもあったが…)

昨日までの台風4号に引き続き、報道スタッフにはご苦労様。

いよいよ午後3時半を画して、記者、カメラクルーが現地に、つまり地上に降りた。
住民の方々はもちろんのこと、くれぐれも報道クルーの安全にご注意のことと祈るばかりである。


<おしまい>


2007年7月14日土曜日

翻訳で思い出すこと

日本人が単に翻訳をする…とした場合は、おそらく日本語に対するところの「外国語」を日本語にすることをイメージされることが多いように思います。

私の場合はその反対で、ある仕事の関係で「日本語」を「英語」、正確には「米語」に翻訳してもらうことがありました。
アメリカ西海岸への旅行記、つまり現地でのエピソードを日本語で原稿に起こして、それを翻訳してもらう…。
旅をしているのは日本人なわけで、英会話のテキストとはいうものの、なぜ英語にしなければならなかったのか…

今思うと企画そのものに多少、無理があったようにも思いますが。
でも、現地で急な腹痛に見舞われたら…、忘れ物をしてしまったら…、などなど、どちらかと言うとエマージェンシー対応の仕立てになっていたので、それなりに意味があったと思います。

その企画の中でお願いしたのが翻訳会社でした。

そこで感心したのは、出来上がった原稿をひたすら英語に直すだけではなく、結果としてそれは契約外の内容だったのですが、ドラマ仕立てのスキットに対して、こうしてみたら…ああしてみたら…と、予定外の提案が相次いだことです。

最終的には、テキストブックの他にCD-ROMに音の教材として落とす作業があったのですが、担当してくれたバイリンガルの大学院生の方は、手弁当でナレ録に付き合ってくれました。

要するに、オリジナルの原稿あっての翻訳とはいいながら、自分の関わった原稿のナレーションまで見届けよう…いや、聞き届けようという、見上げたプロ根性とお見受けしました。

外国語をビジネスにするということには、ただ読み書きできるということを超えた、言語あるいは異文化(日本文化に対するという意味で)に対する尊敬と愛着あるいは、別の視点からは責任とが必要なのだ、と痛感させられたものです。

日本語だけの私しては、日本語をもっと大切にしなければなりませんね…と考えさせられました。


<おしまい>


2007年7月6日金曜日

「ばらの包み」の贈り物

デパートにはそれぞれ顔があって、それは各デパートのイメージを象徴する。

では、高島屋といえば…
私なら迷うことなく直ちに「ばらの包み」と答える。

いつ頃からそれとして意識し始めたのか覚えていない。それほどに自然な感覚だ。

たしか、子供の頃の私にとって大切な「東京のおじさん」が贈ってくれた、その贈り物はいつも「ばらの包み」だった。だから、物心がついたと同時に「ばらの包み」は意識の中にあった。

高島屋のギフト…といえば、タカシマヤ オンラインショッピングでと考える方が増えているそうだ。
この時代、ごく自然の流れといえばそれまでだが、注文の方法や、それを受ける方法が変わろうとも、なんら変わらないのが「ばらの包み」のことだ。

ぜひとも変わって欲しい…企業にそう望むことがあれば、ぜひとも変わらないで欲しい…そう願うこともある。
その代表格が高島屋の「ばらの包み」なのだと思う。

たかが包装紙なのではない。

高島屋に培われた長年の伝統を包み込むように、客とその先の贈られた人までを大切にするという変わらぬ心を織り込むように、あの「ばらの包み」は超然として優雅に、かつ堂々と高島屋を象徴している。

そして、これからもずっとそうあるに違いない、と信じさせる何かが備えている。

大好きだった「東京のおじさん」はもういない。
でも、その息子さんが届けてくれるその贈り物は、相変わらず「ばらの包み」だ。

贈り主の思いが込められた一品には、今でも「ばらの包み」がよく似合う。


<おしまい>


2007年7月3日火曜日

市田柿

 市田柿は、南信州は伊那谷、天竜川のほとりで生産された良質な柿が原料とされます。これは約600年程前から伊那谷に多く見られた在来の渋柿の一種で、現在の高森町市田地区が発祥の地とされています。諸説ある中でも、当時の飯田藩主が柿の木の植栽を奨励したことで広まったとする説が有力です。

 秋になると、伊那谷の天竜川河岸段丘一帯は濃い川霧に包まれます。こうした気候により市田柿特有の白い粉が育まれるとされています。今日では農家の軒先に吊るされた「柿すだれ」が、伊那谷の秋を告げる風物詩となっています。

 さて、干し柿は全国各地にありますが、この市田柿は昭和20年代に商品化され、現在では長野県を代表する干し柿のブランドに成長しました。

 干し柿は、いまや食物繊維が豊富な健康食品として注目されていますが、 市田柿は特に糖度が高く、肉質が緻密なことが特徴です。

 皮を剥いて糸で吊し、天然乾燥することによって美しいレンガ色に仕上がり、さらに川霧が育んだ粉をふいて、極上の干し柿ができあがります。


<おしまい>


ご披露 自作川柳! お題は「転職」

では、転職にちなんで川柳を一句…

「転職は、手に職になり、天職になり」

川柳といえば、江戸の古来より「うがち・おかしみ・かるみ」という三つを要素とされています。
さすれば自己評価するも、この川柳は真正面に過ぎて、可笑しさや、まして軽さにも欠けるかも知れません。
が、しかし、転職とはそのようなものではないでしょうか。

その方の年齢や背景によっても異なるので、
「そんな悠長なこと、考えているヒマないよ…」
という声も聞こえてきそうですが。
でも、手に職、天職…それらの可能性を秘めた転職にあやかりたいと思う向きは否定できませんね。

きっと。

拙い句のこと、誠にお粗末さまでした。


<おしまい>


2007年6月26日火曜日

画像のテスト (読み物ではありません)

写真の貼り込み具合を試します。



ph.1


次の写真。

ph.2


どちらもセンターに合わせました。


<おしまい>


テクノロジーあって、ケアなし、フォローなし。

自社で開発したビズログ作成ツールを販売しているとされる某サイトには、
「同社のブログツールで作成されている…」
という趣旨のキャッチ・コピーが踊っています。

にもかかわらず、そのサイトの最新更新履歴を見ると「2006.11.**」(2007年6月現在)という、なんとも笑えない…、でも、本当の話。

いかに最新情報への更新が必要か…。

テクノロジーあって、ケアなし、フォローなし。

立派な技術があることと拝察するだけに
「なんとも、もったいない」
とは、私ならずとも多くの皆さんに共通する正直な感想ではないでしょうか。
図らずも、ブログその他のWEBコンテンツを維持することの難しさを実証した例と言えるのではないでしょうか。


<おしまい>


■ -Blog Press- 上手な活用術

●ブログ・マーケティング

従来型の「ビジネスブログ」は、企業方針や「社長の一日」などを綴ったトップマネージメント系ブログや担当者による談話系ブログ、あるいは製商品やサービスのリリース情報や企業トピックスなどを綴った広報系ブログ、そうしたいわば片方向で一方的に情報発信するだけのブログが中心でした。
ところが、コメントやトラックバックなどの機能を用いた「参加型」や、ユーザーのブログとのリンケージを企図した「連携型」など、最近では製商品やサービスの内容に適した双方向ブログを上手く活用している例が増えています。
ご存知のとおりブログ・マーケティングとして注目されています。つまり、ブログによる情報発信を核としたブログ・マーケティングは、より多くの潜在顧客を掘り起こし、囲い込むのに有効な手段です。

単なるサービスや製商品の特徴に偏った情報を発信するだけの広報系ブログに飽き足らない貴方なら、よりユーザーとコミュニケーションをとるための効果的なアプローチとしてブログをぜひお試しください。


●双方向情報発信ツールとして…
  ビジネスにブログを活用する

商品の特徴を一方的に発信するだけの「商品ブログ」だけではなく、目的やサービス内容にあわせた効果的な「ブログ・マーケティング」が可能にします。
ブログによる情報発信は、より多くの潜在顧客を掘り起こし、囲い込むのに有効な手段です。だから、多くの企業が採用しています。


●メールマガジンからブログ…
  そしてBIZLOGへ

Google、Yahoo!、MSNなどの代表的な検索サイトによるブログ検索などを経由して、ブログに掲載したリリース情報や商品レビューに検索エンジン経由でアクセスするユーザー側からアプローチしてくるタイプの集客に大きな効果を発揮できます。
こうした訪問者が増えることによって、見込み客の増加に活用できます。


●双方向情報発信ツールとして…
  ビジネスにブログを活用する

商品の特徴を一方的に発信するだけの「商品ブログ」だけではなく、目的やサービス内容にあわせた効果的な「ブログ・マーケティング」が可能にします。
ブログによる情報発信は、より多くの潜在顧客を掘り起こし、囲い込むのに有効な手段です。だから、多くの企業が採用しています。
よりユーザーとコミュニケーションをとるための効果的なアプローチとしてブログを活用しましょう。


<おしまい>


■ -Blog Press- 特長のご紹介

●とことん企画 -サイト設計-

ブログ・サイトの管理人になる貴方の人となりや趣味その他、人間味あふれるサイト設計に心がけて、とことん貴方と話し合って企画を立案します。ブログの傾向や想定ターゲットに合致したコンテンツの企画から、無理なく継続を可能とするさまざまなアドバイスを提供します。

打ち合わせのその場で必要なチェックシートを作成し、その場で確認していただきます。
この場合に、サイト設計と今後の運用に必要となる詳細な設定を決めさせていただくことになります。


●お気楽ブログ管理 -立ち上げから運営まで-

複雑なデザイン設定や入力作業はいっさい不要。当方にお任せください。必要な情報入力や貴方がお好みのデザインを選んでいただくだけでブログを立ち上げられます。さらに、予め執筆した記事がありましたらメールなどでご提供ください。ブログの更新を代行します。


●楽々コンテンツ -執筆からレスポンス管理まで-

ブログは内容の更新(書き換え)の頻度に応じて、アクセス・カウントに差が生じます。立ち上げたのは良いけれど、さあこれから…というときに息切れしてしまうのが、記事の執筆とコメントに対するレスポンス。
ブログのオーナーさんにはしっかり本業に精を出していただくことにして、コンテンツの管理は当方にお任せください。
文体や語調など、オーナーさんと綿密に打ち合わせして、ご希望のコンテンツを提供します。

写真の掲載を希望される場合は、私宛にメールで送ってください。必要に応じて補正など加えて、掲載します。また、ご希望の場合は通常取材に合わせて同時にカメラ取材も行います。


●たくさんテンプレート -ブログのデザイン-
「私のBIZLOG」サイトは貴方のイメージを伝える大切な鏡。ブログのデザインは重要なポイントです。「私のBIZLOG」では、貴方のイメージアップを高めるに必要なデザインテンプレートをチョイスします。ですから貴方にピッタリの高品質なブログをプロデュースします。


<おしまい>


■情報を発信する人

情報を発信する人とは、企業のトップや広報担当者など経営者とその周辺はもちろんのこと、私の身近にいらっしゃる染色家や陶芸家、家具職人などクラフト系の作家、建築士や造園家、レストランや居酒屋、喫茶店の店主、菓子工房や動物病院、ペットショップのオーナーなどなど、さらに、それらに従事、勤務するスタッフなどにまで及びます。そうした方々が提供する臨場感あふれる情報であるからこそ、その情報の受け取り手、つまりサイトへの訪問者にとって、関心の高い、興味ある情報を自らの手によってタイムリーに受け取ることができるのです。

ここで整理すると、情報の発信者のイメージは、情報の発信という作業を通じて、その発信者の知名度・好感度の向上、より具体的に販売促進・売上増進などに貢献できる“事業あるいは企業を支える個人”を想定しています。

ブログとは、いわば「事業」そのものである事業主本人だったり、あるいは企業の最もコアな位置にあって業務する個人を通じて、事業主本人や企業が伝えたい言葉やメッセージ、核心に迫る「想いの丈」といったものを、受け取り手に届けるのに効果的な手法として活用することができる仕組みです。


<おしまい>

■機能を活かす人

今日の代表的なブログ・サイトは、企業のサイトつまりBIZLOGとして違和感のない、好感度の高いビジネス向けのデザインテンプレートが多数揃えられており、ありがたいことにその多くが著作権フリー、つまり、無料で提供されます。さらに高度で特別な技術…例えばプログラミングの知識がなくても、比較的容易にブログへの記事投稿や情報更新ができます。

ですから、ブログの初心者であっても安心して使うことが可能です。

事業を主催し、あるいは企業に携わる一員であれば、だれでも有益な情報をブログ上で発信し、訪問者との交流を活発化することができます。
つまり、そこに明確な意思と企画さえあれば、貴方の前向きな姿勢や態度、企業に対する信頼性と親近感、それらの訴求を自らの手で容易に可能にするのです。


<おしまい>


■ブログとBIZLOG

ブログとBIZLOGの違いは何でしょうか?

ブログは、個人が個人を想定ターゲットとした独白(モノローグ)系の日記や個人とその周辺の限られたグループとそのメンバーらに範囲を限定した掲示板(BBS)系の情報をホームページと比較して、手軽に発信するためのシステムだったと言えます。

その一方でBIZLOGは、単なる日記やBBSサイトに飽き足らない個人ユーザーはもちろん、もっと積極的にサイトを訪れるリピーターや潜在顧客、ファンを増やし維持する目的で、商店主・事業主あるいは経営者、企業の広報担当者らを情報の発信者として、その受け取り手との間で「情報を媒体」とした相互交流を円滑にするためのコミュニケーション・ツールということができます。

インターネットに接続したサーバーが自前かレンタルか…とか、その規模の大小…そういった差こそあれ、ブログとBIZLOGにそれぞれに特化した特別なハードやソフトは必須条件ではなく、「ブログとBIZLOG」の違いは、情報の発信者側におけるプラン(情報の仕掛け)とコンテンツ(情報の内容)、メンテナンス(情報の更新)、そしてレスポンス(応答頻度と速度)によると言えます。

2007年6月12日火曜日

BIZLOGに関する雑感のこと

ただただ、駄文を連ねているのみだと、ブロガーのブロガーたる由縁であるとか、紙ベースが基本だった頃との比較であるとか、じゃあ一体読者って何処に居るのか…だとか、理解できないことも多い。

PCがあって、ネットワークで外とつながってインターネット環境があれば、まさにここで実証しているとおり、ブログサービスを利用すれば
誰もが無料で領域を確保できるわけだから。

じゃあ、この領域を使ってナニができるのか?
どう活かすの?
といった疑問が多いことも事実だ。

そもそも、ここではブログを持つことの目的や目標、あるいはそうしたことにより得られた結果や顛末を性急に求めることに馴染まないのかも知れないが。

しかし、確かにBizlogなる言葉がある以上、これを独白の開示や感傷の記録なんぞに留めることなく、仕事の道具として活かそうとしている方々がいるわけだ。

ちなみに、もう10年も前になるが、HTMLのTAG辞典を座右に数字で色指定したり、フレームを切ったり、リンク張ったりして、公開のHPを作成していた経験がある。しかし、オンマウスで色を変えるなどの既存のスクリプトを拝借して、JAVA Scriptで書いたりして喜んで(?)いた程度で、どう逆立ちしてみてもプログラマーじゃない。

むしろ文書を作るのが専門で…世間様に言わせるとコピーライター、あるときは編集者、あるいは企画担当、販促がらみでマーケティングにも手を染めた…その辺りがドメインである。

その頃を知る者としては、たった3年ほどの間にブログの隆盛に驚きを隠せません。
組織の都合でドメインから暫し遠ざかっていたら、この変化は他人事のように目覚しい。
浦島太郎状態とは大袈裟だが、それに近い感覚だ。

さて、ドメイン復帰にあたり、実体験を基礎に当世媒体研究をせねばなるまい。

マクルーハンだ、ホットメディアだ、クールメディアだの。はたまた、マルチメディアなる言葉が飛び交い、彼の大手新聞社が主催する「インターネットの可能性」とかを論ずるパネルディスカッションを傍聴したりしてた時代を通り過ぎてきた。その後に、理屈に縛られなかったであろう勇気ある挑戦者、先見の明ある知恵者たちが、果敢に今のネット社会を形成しつつ、拡大させてきた。
ここまで成熟したと言われるネット社会を観察するに、「何をいまさら」の感も否定できないが、しかし、もっと広く、もっと深く、さらに観ていかなければならない。


<おしまい>


2007年5月28日月曜日

水芭蕉 ― 鬼無里にて ―

結果的に花盛りならぬ苞盛り(?)を少し外しておりましたが、北信濃は鬼無里に水芭蕉を求めて行って来ました。

地元の方によれば
「先週末が苞の仕舞い。週遅れで残念だったね」
しかし、私にはそう感じさせない、たっぷりの満足を与えてくれました。

昨年末来ここ半年ほど仕事に追われ、これまで体験したことの無い非日常の処理に体と心を砕き続け、ここになってやっと終日まるまる心身の自由が利く、そんな貴重な1日を得ることができたのです。

前日になってから、「明日出よう」そうと意を決めて得た、本当に大切な1日でした。

記憶を整理するために、当日をダイジェストしておきます。

自宅発 > 水芭蕉(鬼無里) > 戸隠蕎麦(岩戸屋) > 善光寺さん詣 > 湯けむり館(乗鞍高原温泉) > 自宅着。と、全路程500キロ、総時間16時間半、夫婦の合計年齢にしては結構な強行軍と自負できる程のハードな1日でした。

鬼無里に立ち寄ることになったきっかけは
「久しぶりに岩戸屋さん(戸隠)で美味しい蕎麦を食べたい」
前夜に語った連れのたった一言。

このためだけに、まず自宅を発ちました。

立ち寄り先や道順などは、車中で地図を頼っての相談や、その場の思い付きで徐々に決まっていく。主たる目的地(今回は岩戸屋さん)を外さない限り、あらゆる変更や決定が自由かつ頻繁に行われるという、我が家のいつものパターンでした。

当初から鬼無里は、戸隠を目指す通過点候補のひとつであって、したがって「水芭蕉」という連想と、たしか連休明けだったかに放映されたローカルテレビのニュース映像の記憶とを頼って、そこと決め、そこを目指したに過ぎませんでした。

さて、行ってみて初めて分かったことですが、車の通行が許された限界の地点となっている駐車場から休憩舎のある広場まで、私たちの脚でゆっくり20分。そこから水芭蕉の群生地のひとつである今池までさらに10分。ブナを始めとするさまざまな広葉樹の林に分け入って、緑の湿地まで下りることができました。

第一印象は意外の驚き。葉の大きさ、立派な茂り加減にビックリです。

時季を多少、外していることもあってか、あの白い苞の大きさと比較すると徒長気味とも思われるほどの丈。「1株が5号鉢」と思っていた想像上の大きさは見事に見当を外されてしまいました。

ミズバショウ

家に帰って奥裾花自然園のホームページを見ましたところ、

「清冽な雪解け水の中に咲く水芭蕉 2006/5/25撮影」とキャプションされ、その写真に写し出された水芭蕉のイメージとは、その丈を比較する限り明らかに昨年と異なっていることがわかりました。

http://www.shinshu-tabi.com/kinasa.html

暖かな雪足らずの昨冬の影響がここにもかの感です。

目に映る水芭蕉の姿も然ることながら、これまでに嗅いだことが無い何とも言い難い、いい心地にしてくれる柔らかくて仄かな香りが、ゆったりほんのりした時間と空気に漂っており、この一面に自分がいるという、ただそれだけの事実を大切に感じたくて、思いのほか時間を過ごすことになりました。

確かな予定表があっての行動でないことは申し上げたとおりなのですが、奥裾花自然園にいること2時間余。お昼にはと思っていた岩戸屋さん着の予定はとうに過ぎてから、水芭蕉の池を離れたのは午後1時半を回っておりました。
木曽の赤沢自然休養林、黒姫高原コスモス園、さらに今回の奥裾花自然園、再訪を期す地として当地が加わりました。今度は落葉の秋です。新たな気持ちで再訪したい…、改めて強くそう思っています。

<おしまい>


2007年5月10日木曜日

庭の「たらの芽」

今年も庭先にたらの芽が出ました。

今年は春先の天候不順も手伝って例年に比べて不作なのですが、それでも市場価格でもう既に3千円分くらいは頂きましたでしょうか。

世間では天ぷらで食するのが通り相場だと思うのですが、わが家では夫婦ともに脂肪の摂り過ぎを嫌って、お浸しや塩コショウで軽く炒めで頂くことがよくあります。
天ぷらより、香りも苦味も立って美味しいと思います。

私の経験上、他所では味わったことがなく、わが家でしか食べたことがありません。お顔馴染みの店などあって、裏メニューとかで特別に注文でもすれば味わえるかもしれませんが。簡単に珍味と言ってしまうにはもったいない、「珍しい味わい」と言えるでしょう。

さて、たらの芽はたいへん生命力が旺盛で、春先になるといたるところに、それこそ芽を出して、子供の指の先ほどの小さくて新しい穂先を開かんとしている姿には感心します。
初めて植えた30センチほどの苗が、今では退治しても退治しても、そこここに生えてきますから、中には翌年には続かない若芽もたくさんあって、なんとも贅沢な間引き作業を毎年のように強いられています。

その作業はこれも大変で、一本一本がスコンと抜けてしまうわけではなくて、地表の浅いところをメリメリっと引き裂くように、長くつながった根っこをたどって、適当なところで刃物を入れる、そんな作業の繰り返しです。
時には大切にしている草花の苗の中を縫うように根っこが生えており、間引きと言っても他の植物に気を遣うとてもデリケートな作業なのです。ウッドデッキの下、手の届かぬところでデッキの底面の高さを限界に、しっかり生きている芽もあって、さすがにそこまでは間引きの手が及ばず、けっして小さくないわが家のデッキ下は、数年でたら畑、イヤ、たらの芽畑になってしまうのでは…と心配しているところです。

さておき、今日も間引き作業の中で石楠花が影響を受けておりますことを確認しましたものですから、すかさず例の処置をしたところです。

そうした心配をよそに、石楠花はそれらしく今年も咲き誇っており一安心しているところです。


わが家の石楠花


<おしまい>


2007年5月7日月曜日

トラックバックとRSS

ブログの特徴とは何なのか?

私なりにリンク(トラックバック)とRSSだと考えている。
当Bloggerのサービスにおいてはリンクと呼ばれているが、一般にはトラックバックと称した方が理解しやすいようなので、今回のタイトル以降、拙所ではトラックバックと記すことにする。

この2つにより、従来のコミュニティサービスが技術的に解決し得なかった問題を解決されたといっていいだろう。つまり、良し悪しは別にして、ユーザーがコミュニティーに閉じ込められるという問題である。

トラックバックは、サイトを跨いで読者の興味を次々とつないで行く。
RSSなら登録したサイトを訪問をしなくても、つまりサイトを横断して新しい更新を知らせてくれ、しかも、コンテンツを提供してくれる。

これらのことは、コミュニティーという概念を超えて、新しいユーザーがサイトを訪問する流動化のチャンスを増加させるものである。

だから、ブログのそもそもの仕組みを考えると、ブログのユーザーは既存のサイト、つまりホームページなどのユーザーに比較して「流動性」が高い。よって、特定のホームページへと読者を誘導し、固定化しようとする従来からの広告スタイルとは異なるように思われる。

なぜなら、ブログがゆせに流動性の高いユーザーに対して、これまでと同様の考え方で広告を提供しようとすることに無理があり、無理を押すことにより広告効果が低下する、反面、広告費が上昇することを招くであろうからだ。

そのことにより、ホームページとブログという同じインターネット上で展開される事象ではあっても、今日のブログブームをこれまでのビジネスチャンスの延長上にあるものと理解することには少々無理があり、したがって、無駄を生じる可能性が高いと考える。


<おしまい>


2007年5月2日水曜日

Open the Sesame. Good luck !!

わが国でブログが話題になりはじめたのは、確か2003年頃だったと思う。富士通系列のインターネットサービスプロバイダであるニフティがココログと提携して、ニフティのメンバー向けに始めた無料サービスが最初だった記憶だ(調べによると2003年12月3日サービス開始とある)。
それに続くように他のポータルサイトが競って導入した。

当時としては、ブログはメンバー向けのコミュニティサービスというイメージだったと思う。ところが、このニフティを例に引くなら、子であるはずの「ココログ」は既に独り立ちし、サービスの本質を異にするとは言え、親をも超えてしまった感がある。


さて、そこから数えてたったの3年半。その間を振り返りながら、当初に私なりに抱いていた「手軽な日記ツール」のイメージから、「ビジネスツール」への発展、定着の可能性など考えてみたい。

なお、そうしたBIZLOGに関する原稿中に、いわゆる「私的な日記帳」の断片が含まれることを予め了解頂きたい。


<おしまい>