2007年10月7日日曜日

厄年

先日、私のよく行く「集会所」でのこと、厄年の話になった。

集会所の長老は
「厄年には、友人と共に厄払いをした」
と、そのときのエピソードを語ってくれた。

厄払いで詣でた神社で
「厄年とは何歳…」
という神社の掲示を観て、納得したと言う。

さて、いわゆる大厄における厄払いは認識しているが、果たしてその前後はどうなっているか…という話になった。
つまり、いったい何歳が厄年なのか…である。

集会所の参加者は、男女を問わず、その大厄を無事に過ごしており、その前後の認識はそれぞれ希薄であって、確たる年齢を参加者の鳩首協議で特定するには至らなかった。

私を筆頭に
「喉もと過ぎれば…」
の構図かな?
大厄こそ喉もとに在って、それを過ぎれば前後は認識のうちに無い…のかな。

それはさておき、
講学上「厄年」とは…の疑問に駆られて、早速調べてみた。

ここからはWikipediaから「厄年」の項を引用する。

【一般的に男性と女性の厄年は異なり、本厄は男性の場合は、数え年で25歳、42歳、61歳、女性の場合は19歳、33歳、37歳とされている。特に男性の42歳、女性の33歳は大厄と呼ばれ、凶事や災難に遭う率が非常に高いので十分な警戒を要するとされており、語呂合わせでも男性の42歳は「死に」、女性の33歳は「散々」に通じる。】

ということは…、である。
私を除いた、長老および集会所の参加者面々は、もはや無事いずれにも該当することなく…つまり、目出度くも皆ご安心のことだ。
残されるは果たして私のみ、というわけで一考した。

ことある度に詣でている神社がある。三河国一の宮、砥鹿(とが)神社だ。
それは、私に確たる系図があるわけでは無いが、親戚筋などの話を総合すると、遡ること前三代までは皆が知る、そして、少なくとも私にとっては”心のルーツ”といえる拠り所だ。

さて、家人も含めて、今年がわが家に関係する人々の厄年や、まして大厄にあたる年ではない。

しかし、近いうちに詣でることにしよう…そう、決めた。

近場ならともかく、クルマで一日がかりの先だけれど、東京にいた時にも高速を飛ばして何度となく詣でた先だから。

例の集会所で、厄年が話題になったことも何かの導きかもしれない。

先週末のこと、わが身に降り掛かった重き役目にて、篤く壊れた心を救ってくれることを祈って…そう、決めた。


<おしまい>