2007年5月28日月曜日

水芭蕉 ― 鬼無里にて ―

結果的に花盛りならぬ苞盛り(?)を少し外しておりましたが、北信濃は鬼無里に水芭蕉を求めて行って来ました。

地元の方によれば
「先週末が苞の仕舞い。週遅れで残念だったね」
しかし、私にはそう感じさせない、たっぷりの満足を与えてくれました。

昨年末来ここ半年ほど仕事に追われ、これまで体験したことの無い非日常の処理に体と心を砕き続け、ここになってやっと終日まるまる心身の自由が利く、そんな貴重な1日を得ることができたのです。

前日になってから、「明日出よう」そうと意を決めて得た、本当に大切な1日でした。

記憶を整理するために、当日をダイジェストしておきます。

自宅発 > 水芭蕉(鬼無里) > 戸隠蕎麦(岩戸屋) > 善光寺さん詣 > 湯けむり館(乗鞍高原温泉) > 自宅着。と、全路程500キロ、総時間16時間半、夫婦の合計年齢にしては結構な強行軍と自負できる程のハードな1日でした。

鬼無里に立ち寄ることになったきっかけは
「久しぶりに岩戸屋さん(戸隠)で美味しい蕎麦を食べたい」
前夜に語った連れのたった一言。

このためだけに、まず自宅を発ちました。

立ち寄り先や道順などは、車中で地図を頼っての相談や、その場の思い付きで徐々に決まっていく。主たる目的地(今回は岩戸屋さん)を外さない限り、あらゆる変更や決定が自由かつ頻繁に行われるという、我が家のいつものパターンでした。

当初から鬼無里は、戸隠を目指す通過点候補のひとつであって、したがって「水芭蕉」という連想と、たしか連休明けだったかに放映されたローカルテレビのニュース映像の記憶とを頼って、そこと決め、そこを目指したに過ぎませんでした。

さて、行ってみて初めて分かったことですが、車の通行が許された限界の地点となっている駐車場から休憩舎のある広場まで、私たちの脚でゆっくり20分。そこから水芭蕉の群生地のひとつである今池までさらに10分。ブナを始めとするさまざまな広葉樹の林に分け入って、緑の湿地まで下りることができました。

第一印象は意外の驚き。葉の大きさ、立派な茂り加減にビックリです。

時季を多少、外していることもあってか、あの白い苞の大きさと比較すると徒長気味とも思われるほどの丈。「1株が5号鉢」と思っていた想像上の大きさは見事に見当を外されてしまいました。

ミズバショウ

家に帰って奥裾花自然園のホームページを見ましたところ、

「清冽な雪解け水の中に咲く水芭蕉 2006/5/25撮影」とキャプションされ、その写真に写し出された水芭蕉のイメージとは、その丈を比較する限り明らかに昨年と異なっていることがわかりました。

http://www.shinshu-tabi.com/kinasa.html

暖かな雪足らずの昨冬の影響がここにもかの感です。

目に映る水芭蕉の姿も然ることながら、これまでに嗅いだことが無い何とも言い難い、いい心地にしてくれる柔らかくて仄かな香りが、ゆったりほんのりした時間と空気に漂っており、この一面に自分がいるという、ただそれだけの事実を大切に感じたくて、思いのほか時間を過ごすことになりました。

確かな予定表があっての行動でないことは申し上げたとおりなのですが、奥裾花自然園にいること2時間余。お昼にはと思っていた岩戸屋さん着の予定はとうに過ぎてから、水芭蕉の池を離れたのは午後1時半を回っておりました。
木曽の赤沢自然休養林、黒姫高原コスモス園、さらに今回の奥裾花自然園、再訪を期す地として当地が加わりました。今度は落葉の秋です。新たな気持ちで再訪したい…、改めて強くそう思っています。

<おしまい>


2007年5月10日木曜日

庭の「たらの芽」

今年も庭先にたらの芽が出ました。

今年は春先の天候不順も手伝って例年に比べて不作なのですが、それでも市場価格でもう既に3千円分くらいは頂きましたでしょうか。

世間では天ぷらで食するのが通り相場だと思うのですが、わが家では夫婦ともに脂肪の摂り過ぎを嫌って、お浸しや塩コショウで軽く炒めで頂くことがよくあります。
天ぷらより、香りも苦味も立って美味しいと思います。

私の経験上、他所では味わったことがなく、わが家でしか食べたことがありません。お顔馴染みの店などあって、裏メニューとかで特別に注文でもすれば味わえるかもしれませんが。簡単に珍味と言ってしまうにはもったいない、「珍しい味わい」と言えるでしょう。

さて、たらの芽はたいへん生命力が旺盛で、春先になるといたるところに、それこそ芽を出して、子供の指の先ほどの小さくて新しい穂先を開かんとしている姿には感心します。
初めて植えた30センチほどの苗が、今では退治しても退治しても、そこここに生えてきますから、中には翌年には続かない若芽もたくさんあって、なんとも贅沢な間引き作業を毎年のように強いられています。

その作業はこれも大変で、一本一本がスコンと抜けてしまうわけではなくて、地表の浅いところをメリメリっと引き裂くように、長くつながった根っこをたどって、適当なところで刃物を入れる、そんな作業の繰り返しです。
時には大切にしている草花の苗の中を縫うように根っこが生えており、間引きと言っても他の植物に気を遣うとてもデリケートな作業なのです。ウッドデッキの下、手の届かぬところでデッキの底面の高さを限界に、しっかり生きている芽もあって、さすがにそこまでは間引きの手が及ばず、けっして小さくないわが家のデッキ下は、数年でたら畑、イヤ、たらの芽畑になってしまうのでは…と心配しているところです。

さておき、今日も間引き作業の中で石楠花が影響を受けておりますことを確認しましたものですから、すかさず例の処置をしたところです。

そうした心配をよそに、石楠花はそれらしく今年も咲き誇っており一安心しているところです。


わが家の石楠花


<おしまい>


2007年5月7日月曜日

トラックバックとRSS

ブログの特徴とは何なのか?

私なりにリンク(トラックバック)とRSSだと考えている。
当Bloggerのサービスにおいてはリンクと呼ばれているが、一般にはトラックバックと称した方が理解しやすいようなので、今回のタイトル以降、拙所ではトラックバックと記すことにする。

この2つにより、従来のコミュニティサービスが技術的に解決し得なかった問題を解決されたといっていいだろう。つまり、良し悪しは別にして、ユーザーがコミュニティーに閉じ込められるという問題である。

トラックバックは、サイトを跨いで読者の興味を次々とつないで行く。
RSSなら登録したサイトを訪問をしなくても、つまりサイトを横断して新しい更新を知らせてくれ、しかも、コンテンツを提供してくれる。

これらのことは、コミュニティーという概念を超えて、新しいユーザーがサイトを訪問する流動化のチャンスを増加させるものである。

だから、ブログのそもそもの仕組みを考えると、ブログのユーザーは既存のサイト、つまりホームページなどのユーザーに比較して「流動性」が高い。よって、特定のホームページへと読者を誘導し、固定化しようとする従来からの広告スタイルとは異なるように思われる。

なぜなら、ブログがゆせに流動性の高いユーザーに対して、これまでと同様の考え方で広告を提供しようとすることに無理があり、無理を押すことにより広告効果が低下する、反面、広告費が上昇することを招くであろうからだ。

そのことにより、ホームページとブログという同じインターネット上で展開される事象ではあっても、今日のブログブームをこれまでのビジネスチャンスの延長上にあるものと理解することには少々無理があり、したがって、無駄を生じる可能性が高いと考える。


<おしまい>


2007年5月2日水曜日

Open the Sesame. Good luck !!

わが国でブログが話題になりはじめたのは、確か2003年頃だったと思う。富士通系列のインターネットサービスプロバイダであるニフティがココログと提携して、ニフティのメンバー向けに始めた無料サービスが最初だった記憶だ(調べによると2003年12月3日サービス開始とある)。
それに続くように他のポータルサイトが競って導入した。

当時としては、ブログはメンバー向けのコミュニティサービスというイメージだったと思う。ところが、このニフティを例に引くなら、子であるはずの「ココログ」は既に独り立ちし、サービスの本質を異にするとは言え、親をも超えてしまった感がある。


さて、そこから数えてたったの3年半。その間を振り返りながら、当初に私なりに抱いていた「手軽な日記ツール」のイメージから、「ビジネスツール」への発展、定着の可能性など考えてみたい。

なお、そうしたBIZLOGに関する原稿中に、いわゆる「私的な日記帳」の断片が含まれることを予め了解頂きたい。


<おしまい>