2007年10月31日水曜日

ブログに関するある私的トライアルのこと

先週の日曜日を初日として昨日まで、ちょっとしたトライアルをした。

自らに課した
「一日一万字回峰」
なる修行(笑)だ。

かねてより思うところあって、ある指定されたテーマに基づいて、つまり、原稿依頼に沿うスタイルで、一体どれほどの文章を「生産」できるものか、試してみたかった。

この3日間に記事のアップが極端に集中しているので、異変に気付かれた方も多いと思う。

「どうかしちゃったの」
心配して(?)問い合わせも頂戴した(笑)

さて、生産量の目安は1日1万字。

その根拠は、仮に30タイトル、仮に1タイトル当たり平均400字、これを週4回アップするとして、文字数にして4万8千文字。これを5日間に分けて書き上げると、1日当たりが概ね1万字。

400字詰め原稿用紙にして25枚/日となる。

テーマ選びは、その別によって「書く・書かない」の判断をすることを避けて、案件があったら粛々と書くことにした。

テーマによって得意不得意があるのは確かなのだが、選り好みすることを避けた。

(不得意テーマをアップする順番は後回しになったが…笑)

さて、結果発表…。

まず、要した時間のこと。

ほぼ3日間、朝8時頃から21時頃まで、約束があって毎日決まって出掛けるに要した1時間と食事・休憩等の時間を差し引きし、概ね10時間/日となった。

労働基準法に規定された週40時間就労に照らすと、毎日2時間、週10時間、月40時間程度の残業ということになるか(笑)。

次に生産した文章の文字数のこと。

今回のトライアル中にアップしなかったものまで含めて、1万字/日に届いた。
アップしなかった分は、いずれ時を改めてアップすることにしているので、これも生産に含めた。
ただし、書き上げたら即アップしたので、クライアントなど、第三者によるチェックを経ていない。
したがって、とりあえず文字の量を目安として、「数値目標を達成」したものと考えている。

時間と生産量の関係が飲み込めたように思う。
内容や文体のことなど課題も見つかった。

よくよく考えて、今回のトライアルに関してレポートしたい。

ペースダウンして、ゆっくり書くことにしましょう。

p.s.
自分でテーマを見出して書くことを継続する、そのことの難しさを改めて感じた。
他からテーマを与えられて、一定の条件下で書くことの方が、創造性という点では難しくないのかもしれない。
文章の総量と締め切りのことを除けばだ。

自分のテーマで書く方が、そのテーマ選びから始まって、余ほどのこと高いクリエイティビティーが求められると思う。


<おしまい>


2007年10月21日日曜日

ぬめりイクチ の ビフォー・アフター

【続報】
昨日、記しました拙稿、
古畑権兵衛も食した?…「ぬめりイクチ」
の続報です。

アンタッチャブルはどうでもいい話ですので、「ぬめりイクチのビフォー・アフター」と題します。

お約束(?)のPhoto…美味しそうに撮れているとは思いませんが、記録として留めておきます(笑)ので、よろしかったらご覧下さい。

「イクチ」をよくご存知の方には違和感があるかもしれませんが、わざわざグリーンファームの売り場で専門家に確認したところですから、皆さんもそうとしてご理解下さい。




料理の方法は、家人と協議・思案の結果、味噌汁としました。
具は
「ぬめりイクチ」のみとし、他にゴタゴタと何も加えない、シンプルなものです。
きのこの香りや食感を最も強く感じることができるだろう…そう思ったからです。

ただ、「彩」という点では、味噌汁の色に同系のきのこが溶け込んで、華やかさはありませんね。
質実剛健?
イクチの味噌汁の場合は、煮込んだ後に濃い紫色ともいえる独特の色に変化しますが、「ぬめりイクチ」の場合は、笠の裏、石突の白い色もそのまま…、際立った色の変化はありません。

さて、ヌルヌルした食感というと「なめこ」が連想されます。

「なめこ」の味噌汁の場合、あの「なめこ」の一群全体に絡まるような、包み込むようなヌルヌル感が特徴ですが、「ぬめりイクチ」は明らかにこれと異なります。

「ぬめりイクチ」を口に放り込む…、舌の先で転がす…、するとその笠の表面から一枚の薄衣が剥がれるような、体験したことの無い独特の食感に見舞われます。

薄衣が剥がれる様子について、私が知る限りの擬態語を動員して、中から適当なものを一つを選ぶとすれば、「ツルン」ではなくて「キュルン」です。



「なめこ」の一つを箸でつまもうとして苦労したことがあると思いますが、「ぬめりイクチ」にはそれが無く、箸の先で例の薄衣のような膜までつまむことができます。

香りは強くなく、料理前に生のまま置いておいたら、
むしろそれが生えていたのであろう森の中の…、あるいは宿としていた木株の…、その辺りに厚く折り重なった腐葉土の…、確かにそれらの香りが立っていました。

でも、料理したらむしろ香りを感じさせないくらいに、目立たない…、あの独特の食感に遠慮したのかなと思わせるほど、控えめでした。

ところで、この「ぬめりイクチ」に加えて、もう一つのご馳走がありました。

家族ぐるみで親しくお付き合いさせて頂いている友人の方から、尊いお米を頂戴し、それを炊いて頂きました。

その方のご近所4軒(皆さん非農家です)で力を合わせて丹精した本年産「こしひかり」の「新米」。
しかも、「はざかけ米」プラス「精米したて」ときましたら、味は折り紙つき。
生産された方の顔がハッキリわかる訳ですから、尊さも一塩です。

水加減に気をつけて、いつもより少しだけ控えめに。
炊き上がりの釜の蓋を開けたとたんに、あたりを漂う芳しい香りは、何とも言いようがなく。

「新米のご飯」と「きのこの味噌汁」の協奏あって、秋を満喫することができました。

改めて季節の恵みに感謝です。


<おしまい>


2007年10月20日土曜日

古畑権兵衛も食した?…「ぬめりイクチ」のこと

今日は、朝からプライベートで遠出を決め込みました。

ご本人曰く、恥ずかしくも目出度きは…、なにを隠そう当人の誕生日…その当日のこと。
何回目かは、ここでは触れずにおきましょうとは、筆者の情け也か?。
家人の内諾も承諾も無いままの筆耕につき、開示未了のことについては読者の皆様にはご海容の程を願うより他ありませぬ(笑)。

さて、いつも立ち寄る産直の店を数々訪ね歩きながら(品揃えと価格のチェックが主ですが…)、伊那谷と木曽谷を結ぶ権兵衛トンネル(平成18年2月4日供用開始)に近い、グリーン・ファームに寄りました。

ここは、権兵衛トンネルによって「伊那の谷」と「木曽の谷」…いわば、平地を優先したがゆえに開発から取り残されてしまったと思しき両谷間の地域に、まさに風穴を空けた道路、実際にはトンネルとして、両方の谷の生活圏と経済圏を一つにした…そうとして、地元の評価が高き開発だったのです。

とりあえず、所期の効果あってか、トンネルの一方の連絡道路口付近には、中京方面ナンバーを主に、関西ナンバー、そして東京・関東圏ナンバーが入り乱れて…(定量的な順位を示すものではありません。筆者の定性的観測に基づく一種の偏見に基づく表記です。正確には国土交通省の所轄にお問い合わせ下さい…?)、活況を呈しているわけです。

そう思い起こせば、木曽谷側に位置する、漆器と宿場風情のある村の公式な村勢要覧を制作するにあたって、ディレクターとして関わらせて頂いたことがあります。
その折には、この権兵衛トンネルがいずれ開通した暁のことも記しながら、企画し、構成し、執筆した記憶が蘇ってきました。
若いカメラマンを連れてロケハンかたがた権兵衛峠の突端を訪れたことがあります。
ここに設置された高圧の送電鉄塔を象徴的に撮影するよう企図し、
「古畑権兵衛が見た夢」
というヘッドコピーを配して、木曽と伊那の新しき交流の将来について触れた…、そんな10年前を思い出しました。

さて、この辺でテーストを変えませんと…。
突然ですが、この先、本論に移ります。

-------------

イクチのきのこで今晩、誕生日の夕餉を飾るべき副食を構成しようと、かのキノコを求めてグリーン・ファームに至ったわけだが。

?… いつもと違って、やけに騒々しい。

日常を引き裂くデカイ声にデカイ顔。
明らかにそうと分かる「大げさな台詞」(構成作家の言うとおり?)が飛び交って、当地は尋常ならぬ雰囲気に包まれている。
お笑いコンビ「アンタッチャブル」と視た。
あのデカイ顔に一方は細めの眼鏡。
確かに…間違いない。
当地では、蜂の子やザザ虫、イナゴやヒビ(蚕のサナギ)を食する…つまり、昆虫食の伝統というか歴史があったものの、しかし、既に一定年齢層以降には概して受け入れられない傾向があるのだが。

テレ朝と思しきその番組は、これをもって1ヶ月間暮らせるか(当方は番組名には不案内だが、直感の読者も多かろう)をテーマとする企画のようだ。
あのデカイ顔によるイチイチの台詞を遠巻きで聞いていると、おそらく…、その手の企画であろうことが分かる。
気がつけば、家人は遠巻きにケータイのカメラをかざして…。
と思いきや、オレンジ色のつなぎ服を、着たような、それでもって上半身脱いだような、いい加減にセイ…中途半端な格好をしている(着るなら着ろ、脱ぐなら逃げ…)、やけに敏捷性に優れた若者から

「ちょっと…、写真撮影はご遠慮…ウヤムヤ…m…n…zzz…」
と、制止と理解できる意思の表明。

家人が場所を変え、タイミングを異にして、都合3度試みるも、見事(笑)に制止が貫徹された、とか。
でも、ちょっと待てよ。
さっき、明らかにメイン・キャストの後方に位置しながら、カメラは正面に位置して、さすれば明らかにそのカメラが回っていた際の、確かに撮られたハズの…、私の肖像権はどうなるの?

勝手に画像を「イタダキ」にしておいて、編集で活かすも殺すも、私らの了解無しでしょ?
なんて、ちょっと難しいことを考えながら、買い物を続けた次第です。

その最後に、かのアンタッチャブルが出て行って静寂が戻った以降に…、目的のイクチを見つけた。
まさに秋の恵み!
今日の誕生日の食卓を飾ることになった。

写真を撮ったりしたが、今日は遅くなったので、明日以降に改めて掲載しようと思う。
いつものイクチではなく「ぬめりイクチ」とか。

味噌汁にせんと、その前処理をしていて、手触りが確かにいつもと違う。

その後に、指先に優るは舌先か…
満喫した。

今日の誕生日は最高だった! かな?

あの、デカイ声で圧倒されて嫌気がさしたけれど、「ぬめりイクチ」に出会えた訳だし。
誕生日祝いのこと…良しとしよう。

本人評価は別にして、あくまでも私なりに…

返す返すも、おめでとうございます。


<おしまい>

使える写真などありましたら、明日に処理します。
期待しないで待ってて下さい!(笑)


2007年10月18日木曜日

引き続き : WEBおよびBlogにおける匿名性の問題について

昨日(07/10/17)に記した「WEBおよびBlogにおける匿名性の問題について」と題するブログについて、私なりに再考しましたところ、07/07/18付けの本稿タイトル「BIZLOGに関する整理」の上にて、以下の記述をしておりました「BIZLOGにおける匿名性」について、ご参考下さい。

----------------------------------------
・ブログ上での匿名性は廃す。
→ 企業や事業に関連した内容である以上、情報の発信者側は常に表に対して姿を見せていること。
→ ただし、記事の中で企業や事業に属さない第三者の個人名などは、本人の了解が無い限り明らかにしない。
----------------------------------------

つまり、BIZLOGの筆耕を請け負うというビジネスモデルにおいては、筆耕担当側で遵守すべきポイントとして、「匿名を廃する」もしくは「依頼に基づいて筆耕していることを明記する」ことが必要です。
コンプライアンスの問題と自主規制とは異なります。
根拠法を思い当たらない以上は「匿名にする・しない」は自主規制の範囲になります。その結果、私の考えでは、BIZLOGの「代筆」を依頼または発注した側との合意がない限り、そのブログのオーナー名は実名にすべきと考えます。

ただし、クライアント・サイドの同意または指示に基づくペンネームの使用は、ブログ上のニックネームあるいはハンドルネームとは別のものとして、これを許容するものと考えます。雑誌記事などに見られるペンネームと同じです。


<おしまい>


2007年10月17日水曜日

WEBおよびBlogにおける匿名性の問題について

タイトルに表わしたテーマについて、あまり大上段に構えると話が大きくなりそうな予感がします。

ただいま、まさに大きな社会問題となっている匿名性を理由とする様々な犯罪の発生、また、それらの誘発関連性について、あるいは裏ネットだの自殺サイトだの、きっと避けては通れなくなるだろうと思います。こうした背景から、フィルタリングの導入に関する検討も具体化に向けて議論が進展している模様です。

自分でテーマを設定しておいて妙な話ですが、社会学者でもなければ犯罪心理の権威でもない私が、この場であまり深入りすることには、本能的に危険を感じてしまいます。

ただ単に感じたことを述べるだけならともかく、このテーマで責任を持った意見を他人様に向けて発表できるほど、理屈や実証を積み上げている訳ではないので、もっとテーマを身近な場面に限定して、例えば私的心情の吐露など織り交ぜたりしながら表してみたいと思います。

話の発端はこうです。
どちらかといえば読むことが好きな家人とともに、気軽に始めたブログでした。
(タイトルはここ最近に変更したもので、オープンした当初とは異なります。)

PCのセッティングやブログの登録、その維持といった役割と、もう一つは記事周りの題材集めや構成など、大別してこの2つの役割が合体して始まったのですが、その頃に匿名性がどうだ、こうだと感じるわけがありません。
しかし、名前入りの記事として書き分けでもしない限り
「ブログ上に現れる人格(?)は一つだね」
ということに、頭を悩ましたのは確かな記憶です。
ワープロ代わりに何かしら書き留めるくらいで、PVが一日一桁、間違って20そこそことか言っているうちは良かったのですが、どうせならアクセス・アップしようということで、SEO対策したりして、PVの上昇過程を確かめるのは楽しみでもありました。

というわけで、現時点で私たちがメインで動かしているブログは、例えれば漫画の藤子不二雄さんのような状態にある、つまり、ここでは「ブログ妻」と「ブログ夫」の合作ブログなのです。そして、ややこしい話ですが、Googleに場所を借りて本稿を起こしているのは「ブログ夫」なのです。
途中からは「Blog Press Agent」と称して、ブログを介したマーケティングのビジネスモデルの実験場としても意義がありました。
ここに来て外部からのリクエストに応じ、つまり、ニュースリリースを題材にテーマに沿った記事を起こす…、与えられた一定の制約の下で文書を起こす、いわばブログ上の売文業としてトライアルしているところでもあるのです。

ここで、匿名性と私たちのブログ問題について整理します。
つまり、
1.スタートした当初と環境に変化が生じた。
2.まじめに読んで下さる読者の方(失礼な表現ですが他に思い当たりません)が増えた。
3.自己満足には留まらなくなってきた。

友人、知人、それらの方々から人伝に伝播している程度だったら、
「実は、こういう事情なんですよ」
と、口伝に旨を伝えることができるし、そうしてきました。
しかし、気付いた頃には読者の方は面的に拡散しておりました。

PVは多くはないが安定的に一定数を確保しているので、何かしら覗いて下さっていると思います。中には、ご自分のPVのためと割り切っていらっしゃる方がいらしても当然だし、そのことは割り切って考えられます。お互い様ですね…と。
しかし、見も知らずのまま、そうと信じて読んで下さっている方々に対して、少なからず気まずい心持になってきていることも確かなのです。

匿名性との関連と言っても、間違っても「匿名だから」書いてあることに嘘がある、あるいは虚構をもって他人様を誹謗中傷したりする目的のものなどではありません。
ですから、ブログの内容をして「気まずく」なっているわけではありませんので、ご安心を願いたいところです。

かつての勤め先で社内ベンチャーとかの触れ込みで、出版社を起こす企画の当初メンバーだった頃に「なんとか研究会」とか「かんとか委員会」といった人格が表に出ない名前でもって編著者を立ててゴーストしていたときの、あの感覚に似ており、その頃のトラウマなのかもしれません。


<おしまい>


2007年10月14日日曜日

厄年 後日談

先日のお約束…決行しました。

その神社で厄年のことを写真に収めてきました。
ご参考ください。

厄年

正解を確認できましたか?

前厄・後厄のことは知っていましたが、先に触れることはありませんでした。
それに加えて男女共に13才のこと…、初出でしたね。

ところで、心の拠り所を神仏に求める思想は、学生時代には何れかといえば頑なに否定し続けていたことの筈なのに…。
ルーツを訪ねるとかにかこつけて、結局はそこに何かを求めようとしている…。

家内安全、商売繁盛、交通安全、無病息災などなど…私とは欲張りな俗物であることか。

とは言いながら、やはり神様仏様…なのである。


<おしまい>

2007年10月7日日曜日

厄年

先日、私のよく行く「集会所」でのこと、厄年の話になった。

集会所の長老は
「厄年には、友人と共に厄払いをした」
と、そのときのエピソードを語ってくれた。

厄払いで詣でた神社で
「厄年とは何歳…」
という神社の掲示を観て、納得したと言う。

さて、いわゆる大厄における厄払いは認識しているが、果たしてその前後はどうなっているか…という話になった。
つまり、いったい何歳が厄年なのか…である。

集会所の参加者は、男女を問わず、その大厄を無事に過ごしており、その前後の認識はそれぞれ希薄であって、確たる年齢を参加者の鳩首協議で特定するには至らなかった。

私を筆頭に
「喉もと過ぎれば…」
の構図かな?
大厄こそ喉もとに在って、それを過ぎれば前後は認識のうちに無い…のかな。

それはさておき、
講学上「厄年」とは…の疑問に駆られて、早速調べてみた。

ここからはWikipediaから「厄年」の項を引用する。

【一般的に男性と女性の厄年は異なり、本厄は男性の場合は、数え年で25歳、42歳、61歳、女性の場合は19歳、33歳、37歳とされている。特に男性の42歳、女性の33歳は大厄と呼ばれ、凶事や災難に遭う率が非常に高いので十分な警戒を要するとされており、語呂合わせでも男性の42歳は「死に」、女性の33歳は「散々」に通じる。】

ということは…、である。
私を除いた、長老および集会所の参加者面々は、もはや無事いずれにも該当することなく…つまり、目出度くも皆ご安心のことだ。
残されるは果たして私のみ、というわけで一考した。

ことある度に詣でている神社がある。三河国一の宮、砥鹿(とが)神社だ。
それは、私に確たる系図があるわけでは無いが、親戚筋などの話を総合すると、遡ること前三代までは皆が知る、そして、少なくとも私にとっては”心のルーツ”といえる拠り所だ。

さて、家人も含めて、今年がわが家に関係する人々の厄年や、まして大厄にあたる年ではない。

しかし、近いうちに詣でることにしよう…そう、決めた。

近場ならともかく、クルマで一日がかりの先だけれど、東京にいた時にも高速を飛ばして何度となく詣でた先だから。

例の集会所で、厄年が話題になったことも何かの導きかもしれない。

先週末のこと、わが身に降り掛かった重き役目にて、篤く壊れた心を救ってくれることを祈って…そう、決めた。


<おしまい>