2007年7月31日火曜日

AdSense のリンクターゲットとして 「参議院議員通常選挙」について

先日のAdSense について記しましたのに引き続き、具体的な例を示してリポートします。


定時観測として本日7:30AM時点では、「Ads by Google」と表示されたスポンサードリンクのリンクは以下のとおりでした。

ブログ
ビジネスブログ
ビジネスブログ構築
ビジネスブログ作成

(以上、表示の順。但し、いずれにリンクされるかは当方では確認(クリック)していない)

おそらく、ここ数回にわたってBIZLOGやブログあるいはAdSenseに関連した話題が集中していたことを反映してのチョイスなのだと判断できます。
それ以前に、新潟県中越沖地震をテーマに1回だけコンテンツを作成した際には、まさに、地震・新潟それらをキーとしたリンクが表示されていた記憶があります。このことは既に記したとおりです。

したがって、ここまでにもそうした変化が見られたわけなので、これを受けて今日は更に変化を見てみたいと思います。

選んだテーマは「参議院議員通常選挙」について。

<以下、本文>

平成19年7月29日は、わが国の議会制民主主義における大きなターニングポイントとなるべき期待を込めて、私の記憶ばかりではなく歴史にさえも刻まれることになるであろう。
もちろんのこと、国政レベルの選挙で全てを記憶しているわけではないが、私には今回の参議院議員通常選挙を含めて3回の印象が鮮烈である。

今回は終わって間もないことから、記憶というには新しく、かつ、鮮明にすぎる。

以前の鮮明な記憶の1つ。
その選挙とは、あの土井たか子(日本社会党中央執行委員長:当時)をして「山が動いた」と言わしめた1989年の第15回参議院議員通常選挙である。

今から18年前のこと。当時の私は東京にいてMacを使って、いろいろ始めた頃だった。
まだ幼かったわが子の手を引いて行った選挙。出口で風船を2つ貰った画が目に焼きついている。
この時、自由民主党は今回をさらに下回る、これまた歴史的な大敗であった。

「山が動く」、「…動いた」とは、何かが変わるであろう期待を抱かせるに十分なインパクトのあるフレーズであっが、しかし果たして歴史は、そして私自身は、そうした期待に溢れた未来への変化を体感することができ得たであろうか?

今回の選挙も然り。
不鮮明な茫洋とした諦観を伴いつつ「歴史は繰り返す、されど人生は戻らず」か。

さて、もう選挙に関する一つの記憶といえば、1977年の第11回参議院議員通常選挙である。
選挙の記憶とは言っても、前出のものとは全く毛色が異なる。
つまり、現在の選挙制度と異なって選挙区が全国区・地方区とに別れていた時代に、ある全国区の候補者の選挙運動を手伝った経験のことである。

こちらはどちらかというと、私にとって政治の色は薄かった。
選挙に関わることになったきっかけといえば、ある政治青年が崇高な政治理念を具現化する一手段として…などと大げさな大上段の構えからではなく、若さゆえ多少のもの珍しさも手伝って「こわいものみたさ」、「好奇心」がきっかけだったように記憶している。

今は制度が変わったそうだが、いわゆる選挙運動員のバイト代は、当時として破格であった。
事前の準備(運動?とは言わず)から事後の収支報告など、後方付けまで含めて1ヶ月半も泊り込んで24時間仕事していたら、田舎から仕送されていた額の数ヶ月分を臨時収入として手にした。

しかし、きっかけは非政治的な、つまり金銭というある意味で純粋かつ明確な動機からではあったが、しかし開票当日の深夜に当の候補者が当落の線上ギリギリにあって(当時の全国区は50人が改選数だった)、選対本部事務所でハラハラドキドキした記憶である。

ところが、正直なところは○○党の本部で総裁の椅子に腰掛けさせてもらった…とか、
○○派の事務所がある△プリンスホテルに用を頼まれて行ったら、秘書がホテルの本格カレーをご馳走してくれた…調子に乗っておかわりした…美味かった…とか、
そこに派閥の長の△△がいて、とりまきの▲▲が出たり入ったりするのを見た…とか、
今思えば、そうした「ミーハー」な記憶こそが妙に鮮明なのである。

<本文ここまで>

さて、そのような私の記憶などだらだらと披瀝してみたところで、首相がどうするや、今後のわが国がどうなるや、こうなるやではないはずなので、この辺にしよう。

(私が政治に無関心なわけではないが、当ブログのテーマに鑑み、この辺にしよう…というのが正確なスタンスです。時と場所が許せば、論じるに事欠かないテーマの一つであることは間違いありません。)

むしろ、ここでの問題は、AdSense のリンクの表示に変化が表れるか否かです。

まず、今日やってみて、状況に応じて何やら変化が現れるまで、選挙をキーワードに試みてみます。

ひとまず今日のところは、ここまでにして、今後はコメント欄でフォローします。


<おしまい>


2007年7月29日日曜日

コンテンツ向け AdSense のこと

AdSenseに「コンテンツ向け AdSense」と表示されたサービスがありました。
好奇心に駆り立てられて当ブログでも設定させてもらっています。
その設定について表された説明文には次のようにあります。

「お客様のサイトの独自コンテンツをターゲットにした広告を表示します」

当初は意味するところが全く理解できませんでした。

しかし、注意深く観察してみると私の理解度を別にして、実によくできていることが分かりました。
ご存じない方のために、体験的な例を記します。
例えば、当ブログ内で先の新潟県中越沖地震について記した直後には、これをタイトルとしたリンクが表示され、その後には記されたコンテンツの変化に応じて、リンクのタイトルが変化していくことです。

・コンテンツに応じて広告のリンク先、つまり広告主が変化します。
・リンク先はピント外れではなく、コンテンツ内のタイトルやキーワードをある程度、正確に反映している。

以前に、ブログは従来のコミュニティーのようにユーザーを閉じ込めない、という趣旨の記事を書いたことがあります。共通する傾向を有する消費者を「閉じ込めて広告をする」場合と、ブログのようにトラックバックやRSSの機能により流動するユーザーに対して有効に広告する場合とでは手法が異なると考えます。

「コンテンツ向け AdSense」はこれに対する、解決策のひとつと言えます。

例えば、「信州蕎麦」のことを中心に記されたブログに、とにかく「蕎麦」に関連する全般のリンク先とタイトル、つまり広告主とコンテンツに関するリンク先が表示されていたら、そのブログを訪れた読者の関心事にヒットする確率が高いでしょう。

しかし、ヒットの確率が高いからといって、このリンク作業をブログを書いている本人が手作業で行うことは、現実的ではないことも事実です。
まして、それが商業広告であればなおさらのこと、広告主を見つけたり掲載料を設定したり、回収したりなどの作業は出来るはずもありません。

ブログのコンテンツをGoogle側で自動的に読み取って、関連する広告リンクを表示するというのは、非常に優れた仕組みなわけです。
もちろん、ブログのオーナーとしては表示して欲しくない、ある傾向の広告もあるわけですから、オーナーの設定により特定の広告主を選択して表示させることもできます。

固定化したコンテンツの表示を得意とするホームページとの差が表れています。


<おしまい>


2007年7月26日木曜日

BIZLOG像 -より具体的かつ鮮明なイメージ-

BIZLOG に関する、より具体的で鮮明なイメージについて表します。
その概念など抽象的なことを並べるより、ビジネスにおける具体的な場面を描いてる方が整理しやすいとの判断からです。
そして、私の抽象的なイメージを具体化するために。


商業登記された企業の当の代表取締役(代表だけではなく、例えば広報担当者なども想定内です)が、その企業の名前で、仮にニックネームであったにせよ、個人の名前と文責でブログを表すとしたら、おのずと内容に責任とビジネス上の方向性が表れることでしょう。

象徴的には、そうした代表取締役の立場に成り代わって、つまり、代行してブログを書くというイメージです。(客観的な取材形式なども有効です)

会社の代表者と完全に同等の責任や意識でブログをライティングすることは難しいと思います。が、でき得る限りの努力で100%に近づける姿勢でライティングができないか。
自分のことを散発的に思い立ったら書く…のではなく、クライアントのために仕事として継続的に書き続ける…広報担当スタッフの一部として。つまり、広報のアウトソーシングです。

筆耕については、とりあえず私の筆力に関して好き嫌いなど個別の評価はあったにせよ、問題なく提供できるものと仮定します。加えて、簡単なタグ操作でしたら「プロのプログラマー」を頼らない範囲で理解したり、処理したりできるとします。
その上で、仕事として大きく3つの問題があると考えます。

① そもそも、お客様が付くか付かないかの問題
② 上記①をクリアしたとして、サービスの提供価格の問題
  (「タダならいいよ」では商売にならぬことは明らかなわけで…)
③ ②に掛かるコストとのバランスの問題

結局は他のご商売と同様に「市場」と「収支」、「収支総額のサイズ」の問題に集約されます。
しかし、ここで最大かつ最重要のポイントは、再び戻りますが①の問題、つまり市場性があるかどうかというそもそもの課題です。


<おしまい>

2007年7月21日土曜日

Google AdSense のこと

AdSenseについて触れます。
いまさら、取り立てて私が評価するなどという立場ではないと思うのですが、WEBサイト用のテンプレートとして、その完成度の高さに驚かされます。
初期のMacユーザーにはWYSIWYGという言葉がありました(今でも生きているのかな?)が、多少のトライ・アンド・エラーを覚悟しさえすれば、まさに見たままをスクリプトとして生成してくれるわけで、素人支援の優れものです。


<おしまい>


2007年7月18日水曜日

BIZLOG に関する整理

Googleのサービスのことを発端に、友人とブログやECについて議論する機会を得ました。

私の中のモヤモヤ、つまり自分にとって何が適合していて、何がしていないのか、消去法的に整理ができた…そんな感じがしています。

① ビズログ(ビジネスブログ)とネットを介した販売、つまりネットビジネスの違い。
→ 前者は間接的な拡販あるいはマーケティング・ツールである。これに対して、後者はより直接的に商品や商材を売ってしまおう、注文をとってしまおうという宣伝媒体である。

ここで、上記のとおり定義したところのネットビジネスに
(1)適合する商品
(2)適合しない商品
があるであろうという仮説に立って考えると、適合しない商品はネット上で取り上げられないのか、取り上げる意味が無いのか、という問題があります。

まさに適合する商品は既に、ダイエットや健康食品、アクセサリー、家電その他、従来からの紙媒体による宣伝広告と併行して、明らかな実績を表しておりますことは実証されています。
したがって、多少無理やりの感も否めませんが、ネットビジネスに適さないとされる商品やサービスを如何にしてネットに乗せていくか、つまり、ネット上でダイレクトに売ってしまおうというのではなく、イメージアップや商品告知について考える余地があろうかと思うのです。
この点は、クライアントのコスト意識が高まれば高まるほど、広告効果が見えにくく、厳しい評価を受けるところです。つまり、この告知からどの程度の売り上げがあったか、注文があったかが見えにくく、広告コストを掛けづらい難しいところになります。

② ブログライターとは
上記①の議論の末に、あるいは、これと併行して「じゃあ、ブログライターの役割って何?」というテーマについて話しました。

「ブログライターとはブログ上で文章を表す人」と定義すれば、それきりなのですが、ここでは範囲が広すぎます。
ブログ上には必ず何らかの文章が載るわけです。例えばフォトグラファー系のブログにしてみても、表現の多い少ない、または軽重はともかくとして、何らかのキャプションされている場合が多く見られ、これもブログ上における文章です。
真っ黒になるほど、文字を連ねている当ブログにしても内容は文章です。しかし、それらブログを主催するオーナー自身がライティングする場合は、ここでは「ライター」の領域から外しましょう。
オーナーのために第三者として記事を書いたり、コメントを加えたり、リンクを張ったりした場合にのみ、「ライター」と定義します。
自分の日記帳に自分を記録することまで、ここではブログライターとしない…、そう理解して読んでください。
そうした上でここからが私の考えです。

上記①の議論で申し上げれば、ネット上の様々な場面で「ブログライター」と表現されている場合は、上記の分類における「ネットビジネスに適する商品」について、「ヨイショ記事」を書いて、それを介してリンクしたり、アフェリエイトしたりする場合(ここが、紙ベースとの大きな違い)を指すことが多いように感じます。

いわゆるアクセスランキングでは、その必要あってか積極的に上位を狙っている、あるいは結果的に狙わざるを得ず、小難しさや、理屈っぽさは敬遠される傾向にありそうです。
ここでは、そうしたことが良い・悪いという評価をしているわけではありません。
例えばですが、ダイエットや健康食品に、こねくり回した理屈は要らないのでしょう。かえって理屈っぽい表現は読者を失う、購買機会を失う傾向にありそうです。
いわゆる、ハード的なネットワーク上に構築された人的ネットワークを介して、一人でも多くの人の目に触れることが勝負で、そのためにはコンテンツの表現の良し悪しより、検索エンジン対策などが特に重んじられるようです。

したがって、日本語としての誤用や平気で「ら抜き言葉」や「こんにちわ」が横行を許すことになっているようです。まあ、ネットビジネスと日本語の乱れの因果を関係付けるのは、これまた乱暴な気もしますが、私の確かな印象です。
(私自身、記事の内容や気分によって文体が一定しておりません。使い分けているといえば聞こえはいいのですが、確たる依頼が無い限りは自分で使い分けている現状です。)

③ ここで再び「何が言いたいの」という疑問について
こうして、ザッと整理してみますと、私の考えているブログ上のライティングとは
「ネットビジネスの流行と逆行している」
という方向性が見えた気がします。
つまり、仮想BIZLOG上で行われることを想定してみますと、以下のとおりです。

・特定のクライアントの依頼があって、それ自体が独立したブログとして運営されること。
→ 誰かのブログの一部分を成す記事、いわゆる投稿やコメントであったり、リンク先の1つであったりすることではありません。

・ブログそのものは、直接に物やサービスを売らない。
→ 紙ベースの記事体広告(パブリシティー)のようなイメージでしょう。
→ 仮に別サイトに注文フォームやショッピング・カートなどあるようでしたら、そちらを紹介し誘導することはもちろんのこと有効です。

・ブログ上での匿名性は廃す。
→ 企業や事業に関連した内容である以上、情報の発信者側は常に表に対して姿を見せていること。
→ ただし、記事の中で企業や事業に属さない第三者の個人名などは、本人の了解が無い限り明らかにしない。

ますます堅物なブログのイメージになりつつありますが、これらはレギュレーション(自主規制という意味で)の問題であって、コンテンツの内容にまで及ぶものではありません。
広く遍く読者にとって興味ある記事、これを旨とすることが基本です。


<おしまい>

2007年7月16日月曜日

平成19年(2007年)新潟県中越沖地震

いま、ニュースを観ていたら今回の地震に命名(気象庁)があったそうな。
平成19年(2007年)新潟県中越沖地震 と。
当地においても、大きく水平方向にローリングするような、今回に独特な揺れ震度3を感じた10時13分。
「これは、どこかで大きく揺れている」、そう直感した次のタイミングで早速に津波警報が発せられ、そのTV報道を観て、新潟方面が震源であろうことを感じた。
ちょうど連休を利して帰省していた娘は、長岡の友だち、群馬の知人の安否を心配した様子だったが、その当時には何とも予断で安心を述べることもできず仕舞いだった。
結果的には「大丈夫」という結果であったようだが。

しかし、TV各局における番組変更は迅速だった。
連休の最終日(海の日)ということも影響してであろう、家庭における視聴の傾向を判断してのことと思った。
チャンネルをジャグリングしていると、各キー局ともヘリと現地への電話インタビュー、視聴者から提供されたビデオ、とほぼ傾向は一定しており視点の新しさなどは感じることができなかった。
それにしても、報道の適時性という点ではこれ以上はない…つまり、地震発生とともに報道室にカメラを切り替え、それ以降少なくとも6時間以上の連続したシフトには敬服する。
こんな非常時にソープドラマだ、お笑いだの事も無いだろうに…が、番組スポンサーであり、キー局の基本姿勢かと思う。
(正確には、既定番組にL字画面等の文字放送していたものもあったが…)

昨日までの台風4号に引き続き、報道スタッフにはご苦労様。

いよいよ午後3時半を画して、記者、カメラクルーが現地に、つまり地上に降りた。
住民の方々はもちろんのこと、くれぐれも報道クルーの安全にご注意のことと祈るばかりである。


<おしまい>


2007年7月14日土曜日

翻訳で思い出すこと

日本人が単に翻訳をする…とした場合は、おそらく日本語に対するところの「外国語」を日本語にすることをイメージされることが多いように思います。

私の場合はその反対で、ある仕事の関係で「日本語」を「英語」、正確には「米語」に翻訳してもらうことがありました。
アメリカ西海岸への旅行記、つまり現地でのエピソードを日本語で原稿に起こして、それを翻訳してもらう…。
旅をしているのは日本人なわけで、英会話のテキストとはいうものの、なぜ英語にしなければならなかったのか…

今思うと企画そのものに多少、無理があったようにも思いますが。
でも、現地で急な腹痛に見舞われたら…、忘れ物をしてしまったら…、などなど、どちらかと言うとエマージェンシー対応の仕立てになっていたので、それなりに意味があったと思います。

その企画の中でお願いしたのが翻訳会社でした。

そこで感心したのは、出来上がった原稿をひたすら英語に直すだけではなく、結果としてそれは契約外の内容だったのですが、ドラマ仕立てのスキットに対して、こうしてみたら…ああしてみたら…と、予定外の提案が相次いだことです。

最終的には、テキストブックの他にCD-ROMに音の教材として落とす作業があったのですが、担当してくれたバイリンガルの大学院生の方は、手弁当でナレ録に付き合ってくれました。

要するに、オリジナルの原稿あっての翻訳とはいいながら、自分の関わった原稿のナレーションまで見届けよう…いや、聞き届けようという、見上げたプロ根性とお見受けしました。

外国語をビジネスにするということには、ただ読み書きできるということを超えた、言語あるいは異文化(日本文化に対するという意味で)に対する尊敬と愛着あるいは、別の視点からは責任とが必要なのだ、と痛感させられたものです。

日本語だけの私しては、日本語をもっと大切にしなければなりませんね…と考えさせられました。


<おしまい>


2007年7月6日金曜日

「ばらの包み」の贈り物

デパートにはそれぞれ顔があって、それは各デパートのイメージを象徴する。

では、高島屋といえば…
私なら迷うことなく直ちに「ばらの包み」と答える。

いつ頃からそれとして意識し始めたのか覚えていない。それほどに自然な感覚だ。

たしか、子供の頃の私にとって大切な「東京のおじさん」が贈ってくれた、その贈り物はいつも「ばらの包み」だった。だから、物心がついたと同時に「ばらの包み」は意識の中にあった。

高島屋のギフト…といえば、タカシマヤ オンラインショッピングでと考える方が増えているそうだ。
この時代、ごく自然の流れといえばそれまでだが、注文の方法や、それを受ける方法が変わろうとも、なんら変わらないのが「ばらの包み」のことだ。

ぜひとも変わって欲しい…企業にそう望むことがあれば、ぜひとも変わらないで欲しい…そう願うこともある。
その代表格が高島屋の「ばらの包み」なのだと思う。

たかが包装紙なのではない。

高島屋に培われた長年の伝統を包み込むように、客とその先の贈られた人までを大切にするという変わらぬ心を織り込むように、あの「ばらの包み」は超然として優雅に、かつ堂々と高島屋を象徴している。

そして、これからもずっとそうあるに違いない、と信じさせる何かが備えている。

大好きだった「東京のおじさん」はもういない。
でも、その息子さんが届けてくれるその贈り物は、相変わらず「ばらの包み」だ。

贈り主の思いが込められた一品には、今でも「ばらの包み」がよく似合う。


<おしまい>


2007年7月3日火曜日

市田柿

 市田柿は、南信州は伊那谷、天竜川のほとりで生産された良質な柿が原料とされます。これは約600年程前から伊那谷に多く見られた在来の渋柿の一種で、現在の高森町市田地区が発祥の地とされています。諸説ある中でも、当時の飯田藩主が柿の木の植栽を奨励したことで広まったとする説が有力です。

 秋になると、伊那谷の天竜川河岸段丘一帯は濃い川霧に包まれます。こうした気候により市田柿特有の白い粉が育まれるとされています。今日では農家の軒先に吊るされた「柿すだれ」が、伊那谷の秋を告げる風物詩となっています。

 さて、干し柿は全国各地にありますが、この市田柿は昭和20年代に商品化され、現在では長野県を代表する干し柿のブランドに成長しました。

 干し柿は、いまや食物繊維が豊富な健康食品として注目されていますが、 市田柿は特に糖度が高く、肉質が緻密なことが特徴です。

 皮を剥いて糸で吊し、天然乾燥することによって美しいレンガ色に仕上がり、さらに川霧が育んだ粉をふいて、極上の干し柿ができあがります。


<おしまい>


ご披露 自作川柳! お題は「転職」

では、転職にちなんで川柳を一句…

「転職は、手に職になり、天職になり」

川柳といえば、江戸の古来より「うがち・おかしみ・かるみ」という三つを要素とされています。
さすれば自己評価するも、この川柳は真正面に過ぎて、可笑しさや、まして軽さにも欠けるかも知れません。
が、しかし、転職とはそのようなものではないでしょうか。

その方の年齢や背景によっても異なるので、
「そんな悠長なこと、考えているヒマないよ…」
という声も聞こえてきそうですが。
でも、手に職、天職…それらの可能性を秘めた転職にあやかりたいと思う向きは否定できませんね。

きっと。

拙い句のこと、誠にお粗末さまでした。


<おしまい>