名古屋に関する私的考察…というより、むしろ只の思い出の羅列について
当地は愛知県でも、岐阜県でも、三重県でもないのに、なぜか当時は名古屋のTV番組が受信できた。
だから、わが家では「1チャンネルは東海テレビ」だった。
今でこそ、アンテナを向けていないので受信できないが…、わが家では、地元の電波塔を狙う素子の少ないアンテナと、全然違う方向を指した素子の多い、大げさなアンテナとで一組だった。UHFなど無い時期にだったから、目だったと思う。
かなり前のこと、父に理由を尋ねたら、
「電気屋に任せておいたら、そうなっただけ」
いかにも主体性に乏しく、そっけない回答だったが、確かにそうだったのだと思う。
当地ではNHKが4チャンネルを割り当てられているので、名古屋における1チャンネルの割り当てとバッティングしなかった…、に加えて、第1チャンネルは他に比べて、多少なりとも波長が長いこともあって、山間をぬって当地に届きやすかった…それらの好条件が重なった結果なのだと思う。
だから、スガキヤのこと、オリエンタルカレーのあの悲しい響き、コメ兵にしよう…のCMから、何かと話題の「赤福」
さらに、♪さんわさんわ サンワの若鶏~美味しいったらないね♪
を知っている当地の子供は、当時では少なかろう。
夜になれば、かすかに11チャンネルの名古屋テレビ(当時)が映ったものだから、たしか隔週の金曜日だったと思う…近所の大人たちがわが家に集まっては、おそらくプロレス中継を観ていたのだと思う。
こどもなりに、その時間が嫌でたまらなかった…たぶん、隔週の同じ時間帯にディズニーのアニメを放映していたからだと思う。
子供の思い込み、CMの効果とは恐ろしいもので、当時の私にとってウイロウといえば「青柳」のことだった。
が、当時に名古屋の叔母に「ウイロウが食べたい」とねだったら、程なく贈られてきたのは「大須」のそれだった。
子供とは残酷なもので、
「コレ、違う…」
そういう意味のことを手紙に書いたら、「ごめんなさい」と書かれた手紙とともに「青柳」が届いた。
「しろ・くろ・まっちゃ・あがり・コーヒー・ゆず・さくら」(注:当初アップしました時には「しろ・くろ・まっちゃ・あずき・うぐいす・ゆず・さくら」と記しておりましたところ、名古屋在住のブログ仲間である伊藤さんから誤記との暖かいご指摘を頂き、早速に訂正させて頂きました)を覚えているのは、我ながら恐ろしきかな…、当地においてだから。
名古屋との距離感はそのようなものだった。
記憶にある始めての動物園は東山だったし、豊橋の駅ホームで初めて食べた、花かつおのたっぷりかかった、生卵入りのきしめんの味は、今でも父との語り草になっている。
東京タワーを見るよりテレビ塔の方が7~8年も早かった。
結婚した直後に、高校時代の親しい友人を尋ねたこと、女子大小路だったか「かに道楽」で贅沢三昧したこと…
そういえば、錦の伍味酉に通っていた、ちょうど同じ頃に、JAL123便が御巣鷹で遭難した。
まさに、その日、その時間に、私はその日の仕事を終わって、移動のために名鉄BCにいたことの記憶も鮮明だ。
ここ1年半ほどご無沙汰している名古屋。
お伊勢参りの通過点でしかなかった名古屋。
愛知万博、長久手の丘陵で車を停められずに通り過ごしてしまった名古屋。
東京より以前の都会的な原体験の地、かすかなれど、好い思い出の地である名古屋。
心機を一転したら、…できたら、晴れ晴れして再訪したい名古屋だ。
<おしまい>
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