2008年3月5日水曜日

PARCOは渋谷に限る

やっぱり、PARCOは渋谷がいい。

だって、渋谷PARCOは渋谷にしかないのですから。

渋谷に次いで後から出てきた○○PARCOや△△PARCO、そこいらのたくさんのPARCOは確かにPARCOです。
が、渋谷PARCOではありません。

当たり前な話ですが、PARCOを語るとき、ここが肝心要です。
軽んじてはいけません。

しかし、どこそこのPARCOについて、

「あそこの○○PARCOはいまひとつ…」
とか
「この△△PARCOはダメだね…」

決して、PARCO同士で品評しようとしているのでもありません。
みんな立派にPARCOなのです。
でも、PARCOと名がついても「渋谷PARCOもどき」であることに間違いありません。PARCOといえば渋谷なのです。

だって、今では当たり前になってしまいましたが、PARCOが世に出たての当時の
パ・・・ル・・・コ・・・
あの洒落た言葉の響き、そして新聞にしろテレビにしろ、あの奇抜な広告の素晴らしさは、どれをとっても渋谷PARCOの広告であって、渋谷PARCO以外のPARCOのものではありません。

そうこうあって、当時は
「PARCOは渋谷を変えた」、
「人の流れを変えた」
とさえも言われ、PARCOはしっかり渋谷に定着してしまいました。

(注:確かPARCOは池袋が先発だったと思うのですが、当時に「池袋を変えたって」いう論議ありました? 少なくとも私の記憶にはありません。)

そのときから渋谷とPARCO・・・、切っても切れないくされ縁で結ばれた相思相愛の仲になったのです。

こんなピッタリの組み合わせって、当時、他にありました?

六本木といえば…、そう、今でもアマンド辺りでしょうか?

新宿なら追分交番(?)、荻窪とくれば教会通り・・・。

その街とは切っても切り離せない、ランドマークというかタウンマークというか、いずれにしても、人々の心の中にはそのようなものが必ずあるものです。

でも、だからと言って
「調布ならどこ?」
とか、
「じゃあ、松本なら?」
と問われても、答えは決してPARCOではありません。
差し詰め、調布は深大寺・・・、松本なら松本城・・・ってなっても、誰も責められないでしょ。

でも、しつこいようですがPARCOは渋谷なんです。
調布や松本ではありません。

「私の街にPARCOがやって来た!」
PARCOが進出したその街は、そりゃあもう大騒ぎです。

PARCOが来たのと同時に、渋谷が近づいて来たような、そんな錯覚さえしてしまうものです。

年齢によっては、なんとか大サーカスがやって来た・・・、あの感覚に近いものがあります。
どこか浮ついた、ソワソワ落ちつきのない、そんな感じです。

しかし、わが街に近づいたものの、やって来たのは渋谷PARCOでもなく、渋谷の街でもなく・・・、紛れもなく、ただのPARCOなのです。

この辺りを勘違いすると、たいへん妙なお話になります。


さて、「PARCOは渋谷に限る」というそのわけを、お年頃のお嬢様とそのお母様の関係を勝手に例に引いて、考察してみましょう。

お年頃の娘さんがいらっしゃいます。快活な明るいお嬢さんとお見受けします。

「お母さん、今日帰りにお友だちとPARCOに寄って、お買い物をしてくるからね」
娘さんが、そう出掛けに言ったとします。

お母さんは当然のこと、わが街のPARCO、たとえば調布PARCOだと勝手に解釈して、妙に安心してしまいます。
お母さんも時々、駅からの帰り道に立ち寄るあのPARCOをイメージしているのです。
しかし、娘さんはそんなつもりはまったくありません。

まず、娘さんの心は、PARCOはPARCOでも渋谷に向かっています。渋谷より先だった池袋なんて言ったって、娘さんには無関係。当然です。
まして、地元の○○PARCOにではないこと歴然です。
ご自宅から近いか遠いかなんて、娘さんには関係ありません。

だって、娘さんが地元の○○PARCOで、天地神明に誓って本当にお買い物をしていたと考えてください。

お買い物のまっ最中に、買い物袋から葉っぱの付いた大根とネギの青いところでものぞかせたご近所のおばさんに出会ってしまいます。

「あ~ら、エミちゃん。お母さんとごいっしょじゃなかったの?」
なぁーんてねッ。
渋谷PARCOでしたら、こんなふうに呼び止められる危険性はまずありません。

お買い物の目的外で、たとえば不埒な気分なんて全然ないのに、たまたま同級生かなにか、とにかく男性の方と所在なくヒラヒラ歩いていようものなら…と。
エミちゃんは考えただけでもゾッとします。

「いえッ、おばさんたらーぁ、この方は…。ッもう、そんなんじゃなくってェー」
「あ~ら、いいのよ、いいのよ…エミちゃんたら。私って、この辺じゃ、お口が堅いことで通っているんだから。知ってるでしょ、ホ~ント。ご安心なさ~い」

おばさんのおっしゃることの何が「ホ~ント」なのか知りませんが、危ないったら。そんな事態にでも陥ったら、もう目もあてられません。

早ければ、いや、確実にその日の晩のうち、遅くとも翌朝までには、エミちゃんはお母さんから矢のような質問を浴びせられることになることを覚悟しておかなければなりません。

ここで、もし仮に幸いなことに、おばさんに現場を押さえられなくても、出掛けにエミちゃんがお母さんに言った
「お友だちと・・・」
という言葉の中身、その真実は…確かに広い意味でお友だちのうちのお一人を指していることは間違いありません。

しかし、そのお友だちの実態といえば、おそらく8:2の確立で男の友だちである可能性が高いでしょう。いーや、可能性というより、もう間違いありません。

となれば、なおさらのこと、エミちゃんは地元の○○PARCOを選択するハズがないでしょう。

エミちゃんの意識の中で、こうして「PARCO」といえば本能的に地元の○○PARCOから遠ざかってしまうことを、誰が責めることできましょう。

そして、ここまで来ると、もはや娘さんのおっしゃっている「お買い物」とは、間違いなくそれに名を借りたデートを意味していると断言できます。

だって、地元の○○PARCOを差し置いて、エミちゃんがわざわざ渋谷PARCOにいること自体、デートであることを証明する動かぬ状況証拠です。
この選択は、エミちゃんの心中がいずれにあるのか、正直に物語ってしまっています。
実はエミちゃんもエミちゃんの彼も、渋谷PARCOを絡めた渋谷の街に、お二人の予想を覆すような、いーやしかし、ある意味で予想通りの展開を心に秘めて渋谷の街、渋谷PARCOに臨んでいる可能性が非常に高いのです。

だから、エミちゃんの地元の○○PARCOじゃダメなんです。
あくまでも可能性の問題ですが。
そんな秘めたる展開を予想(期待?)するのでしたら、地元のPARCOはただのPARCOでしかありません。ご近所のコンビニとどっこいどっこい。
わざわざデート場所をPARCOにセットした意味が無くなってしまうというものです。
待ち合わせだけだったら、どこだっていいじゃん・・・駅前のコンビニで十分。こと足りてしまいます。


これまでにご説明したとおり、PARCOについてお母さんとの間に生じる微妙な間隔のズレ、認識のズレを巧みに突いて、エミちゃんはめでたくもデートを敢行、そして成功とあいなるわけです。

どう見ても、この件に関する限りエミちゃんの作戦勝ちです。
だって、無理もありません。お母さんは地元の○○PARCOができてからというもの、ここ十数年にわたって渋谷PARCOには、そして、渋谷の街には一歩たりとも足を踏み入れておりません、正しくは踏み入れられません。

もし万が一、渋谷に赴かなければならない決定的な要素・・・たとえば大晦日のNHK紅白歌合戦の入場券が手に入ったとか(この場合でも、おそらく今なら原宿経由で会場にアクセスする方法を採るでしょうが・・・)、そんな理由でもなければ渋谷に意識はないでしょうし。
まして、PARCOなんて毛頭お考えの中にありません。

「へー、渋谷にもPARCOがあったのね。大したもんね」
いったい何が大したものなのか知りませんが、いかにもお母さんらしい独善に満ちた身勝手な感覚というか発想です。

でも、よくよく考えてみれば確かにそうなのです。
お母さんのPARCOは、地元のあの○○PARCOで十分なのです。
ひょっとしなくても、同じ駅前に店を構えるスーパー系の大規模店舗よりステータスは数段上・・・、と信じて疑いません。

が、しかしエミちゃんにとってのPARCOはやっぱり渋谷。
お他人様から後ろ指を指されるような、決してそんなやましい目的で渋谷PARCOを利用しようなんて思わなくても・・・、チャンとチャンとお買い物が目的であっても、特に急ぎでない絶体絶命の用でも無い限り、やはり地元の○○PARCOには向かうことがありません。

エミちゃんは訴えかけます。

「おんなじ品物だって、どこで買ったかで、価値がぜんぜん違うのよね!」
お母さんが聞いたら、全然説得力のない主張であっても、エミちゃんは断固として譲りません。

「エミちゃん、ステキな水着が駅前のスーパーにあったわよ」
お母さんを1次情報源とする「耳より情報」なんて、はなっから耳に入いりません。

渋谷PARCOで売られている水着と、□□デパートや▲▲スーパーに並べられている水着とでは、これらが寸分違わず同ブランド、同価格の品物であっても、エミちゃんには映え方が違うとかで、そう固く信じてしまっているようなのです。
まして、○○PARCOとて同じこと。断然、渋谷PARCOなのですね。

でも、エミちゃんのお母さんはもちろんのこと、広く世のお母様方に申し上げます。
決して、エミちゃんをはじめ世の娘さんたちを責めないでください。

お母様ご自身の胸に手を当てて、よーく思い出してみることです。

「エミちゃんの結婚式に着る留袖だけど、絶対に三越と決めているからね。早くいい人、見つけてねッ」
嬉々としてそれに類するようなことを口走った覚えはありませんか?

お父さんと駆け落ち同然で結ばれたお母さん・・・、留袖なんて用意してなさそうです。
近いご親戚でご結婚のことも、まだまだ先のようです。

でも、今から
「三越なら日本橋よね、エミちゃん。ほかじゃないのよね。絶対!」

エミちゃんは言います。
「無理しなくてもいいのよ、お母さん。高い買い物になりそうだったら…」

あぁ、なんとお母さん思いの娘さんですこと。

しかし、ご両親にはまだお話していませんが、エミちゃんの心の中では着々と一つのある計画が進行しています。

お母さんには通信販売かTVショッピングか何かで、そしてお父さんには当然に貸衣装で済ませてもらいたいのです。
「どうせなら、浮いたお金、二人の新生活に回してくれないかなッ」

渋谷でデートしながら、PARCOでウエディング・ドレスのショーウインドを見つめて、エミちゃんはそう思いを巡らせるのです。
「やっぱ、PARCOは渋谷なのよね。ほかじゃないの・・・。絶対に」

かくして新しいカップルの生活の第一歩も、栄えある渋谷PARCOを拠点に始まる模様です。

PARCOは渋谷に限る。

お二人とも、そしてお母さんも、皆さんお幸せに。


<おしまい>