2008年4月18日金曜日

善光寺さんの仏教連帯

まず断っておく。
「仏教連帯」とは私が勝手に記した言葉だ。
話題は、北京オリンピックに際して長野市で開催される聖火リレーに関する予定変更の顛末についてだ。

世界各地から、当該聖火リレーにおける混乱が伝えられる。
その中、長野市でも、この4月26日にそれが予定されており、
「さあ、どうする」
と、国内・県内・市内とも騒がしかった(と思う)。

その長野市におけるリレーコースのスタート地点に、当初予定されていた「善光寺」が、今日(08/04/18)会見を開き、スタート地点たるを辞退した、と伝えられた。

会見の中で、寺の総務担当の坊さんが語った。
「善光寺も同じ仏教を信じるものとして…」
「人権の弾圧…(間があって)…憂慮する」
という意のコメントがあった。

チベット仏教と「同じ」仏教という意味であることは疑いようが無い。
はっきりと、チベット仏教との関係において、自らの立場を明らかにした例は、ニュース報道の中では無かったと思う(私の知る限り)。
さらに、人権弾圧を憂慮するとした。

「聖火リレーコースを変更する」
というニュースに接したときは、単に警備上の混乱を避けるため、つまり、予想される混乱が善光寺に及ばないために…そう、勝手に考えていた。
ところが、善光寺さんにおける問題は奥が深かった。
宗教、人権の問題にまで及んでいたのだ。

その意味は大きい。
ただ、弔い仏教、にわか神道たる私が言うことではないが(笑)

さて、長野市だが、それに同意したそうだ。
善光寺が長野市の象徴的存在はいえ、当市の所有物ではないから、市としては所有者がNO,といえば、従わざるを得ないだろう。当然だと思う。

ところで、そもそも、当初の決定の仕組みはいかに?…だ。

こうした事前の混乱が無かったらならば、今日のような善光寺さんの辞退問題も顕在化することなく…と思うと、チベット仏教と善光寺さんとの連帯の問題や如何に、だ?

北京オリンピックの開催決定の以前から、チベットにおける仏教弾圧や人権に関する問題はあったろうに。

だったら、こうした問題が表面化する以前に、スタート地点の辞退に相当する問題提起があってもおかしくないのでは?

このブログの書き始めは、例のTVニュースに接して
「やったな、善光寺さん!」
だった。
が、書き進めるうちに
「ちょっと待て」
になって、最後は
「わからない」
に、なってしまった。

ただ、是非について態度を明らかにしたことはエライ! としておこう。

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さて、これとは別の問題。
長野県警が当初予定していた警備要員の倍増を決めたそうだ。

警備に投入される県警人員を賄う予算は、いかに拠るものか。長野市にして然り。
だれの金でやってると思っているのか。
オリンピックと税金投入…国税ならまだしも、県税、市民税が充てられることの理屈を誰か、説明して欲しい。
誰かとは、当然に行政が、であるが。


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結局、県や市とて、集客力を競うという点では、「宗教法人なんとか寺」も「株式会社なんとかランド」も同じということか。

たびたびのことだが、とりとめもなく、終わりとしよう。

<おしまい>