2008年1月26日土曜日

蕎麦を喰らう音

蕎麦好きの私としては、なんとも許せない内容の記事が目に留まったので、一言も二言も。

問題は以下に引用した記事に報じられた内容にある。
前段には何の関心も無い。
私としてはどうでもいい芸能ネタの一部のこと、出版に関するパブリシティーもどきのこと。ご勝手にどうぞ、である。
問題にしたのは後段のこと。

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本田医師が王理恵さんに復縁ラブコール
 ソフトバンク王貞治監督(67)の二女で野菜ソムリエの王理恵さん(37)と結婚延期状態の、医師・本田昌毅氏(37)が29日に開く、自著の出版記念会見でそば試食パフォーマンスを行うことが24日、明らかになった。本田医師は主治医を務める横綱朝青龍(27=高砂)に関する「朝青龍から笑顔が消えた本当の理由」(双葉社)を出版予定。
 結婚延期になった理由の1つに本田氏は、理恵さんが本田氏のそばの食べ方を気にしたと打ち明けていた。本来なら日本そばは音を立ててすする方が粋だとされるが、本田氏は「音を立てないようにする」と反省。復縁を希望する本田氏がラブコールの意味を込め反省した食べ方を披露する。

日刊スポーツ[2008年1月25日6時34分]
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文脈から判断すると、話題の主においては「蕎麦の食べ方、つまり音を立てて食べる」そのことが理由で、所期の目的が達せられなくなった模様。そのリカバリーのために、「反省」の意を「体で表す」予定らしい。

私が問題とするのは以下の3点。

①そもそも蕎麦は音を立てて食べてこそ美味いのであって、そのことを「気にする」という一方の側の大間違い。

②上記①の大間違いに対して、わざわざ「音を立てぬよう」に大間違いの上塗りをする大間違い。

③上記②をご機嫌取りの手段としようとしている一方の側の姑息な態度。


①に対してのこと。
一度だけでいいから「音を立てずに」蕎麦を喰らってみたらいい。

こんな不味いものはない。他人のその様を周りで観ているだけで、自分の蕎麦が不味くなる。
五十歩譲って、美味い不味い、好き不好きは感性の領域のこととして議論する余地を残すのならば、そうした指摘をした者の前で蕎麦を喰らってはいけない。

誤解があってはいけないので、正確を期すと「隠れて喰らえ」と言うわけではない。
嫌気を表す人の前で、その気配を感じながら、わざわざ喰らう必要は無いということ。
時と場所を別にして正々堂々と思いっきり音を立てて蕎麦を喰らえばいい。
微笑を浮かべながら
「これから蕎麦を食べるので、他所に行ってて下さい」
とね。

私としては「気にする」人の翻意を促すつもりのものではない。
ただ、「蕎麦を音も立てずに喰らう」ことが、蕎麦の味わい方として間違いであるということを伝えなければなるまい。

次に②のこと。
本人が美味いと信じて音を立てて蕎麦を喰らい、そのことが蕎麦を喰らう際の作法として大方が一致しているのにも関わらず、何故に先方の大間違いを認めてしまうのか。

むしろ音を立てることの方が理に適っていることについて、指摘をすべきだ。
先方を論破せよ、説得せよ、など言うつもりなど毛頭無い。
ただ一言でいい。
「間違っているよ」って。

そう指摘をしないことは先方の間違いを、「間違いじゃない」と認めているに等しい。
今回は指摘をしないだけではなく、行動でもって「間違いじゃない」と認めようとしているから、さらに悪いと言える。

そして③。
もはや蕎麦とは直接に関係しない。
だが、その姑息なパフォーマンスの手段として蕎麦が選ばれてしまったことに、大変な迷惑を感じる。
そもそも、一方が他方を本質的に「嫌い」という理由付けをしようとするなら、もっと他の理由があったんではないか。



もちろん、ここから先は一般論としてであって、おいそれとここに固有名詞が登場する方々のことを論じるつもりはないが、蕎麦を食べる時の音が嫌…なんじゃなくて、食べてる人が嫌…っていう可能性あるよね。
これも可能性の問題として。

その話題に蕎麦が登場してしまったことが、当てられ損の交通事故のようなもので、蕎麦好きとしては言いようも無く悲しい。

というわけで、「一般論として」、蕎麦を大きな音を立てて喰らっていることを指して、それを嫌うような人とは、お近づきにならない方が身のためと思う。

あるいは、蕎麦を食べる音のことなど持ち出さずに、面と向かって嫌なら嫌と仰ればいい。

スパゲティーを音を立てずに、上手にお召し上がりになったって、嫌なものは嫌だ、と思うのだが。

さもなければ、そのお相手とはくれぐれもご一緒に蕎麦を食されぬよう、ご一緒にとあらばスパゲティーを召し上がれ。

繰り返すが、もちろんのこと一般論としてだ。


<おしまい>