2010年3月21日日曜日

アンバー #34

「#34」

本当に久しぶり、実に三十数年ぶりのことだがその記憶が蘇った。

「#34」とは舞台照明で使用するカラーフィルターのナンバーのことで、アンバー34なんていう音の記憶と共に、そのフィルターを介してホリゾントに映し出された照明効果のことを鮮明に覚えている。

切っ掛けは、三十数年前に通っていた高校で所属していた演劇班のミニ同窓会でのことだった。

1ヶ月と少し前のことになるが、高校の同年会で久々に出会った当時の演劇班の仲間が、仲間に声を掛け、また仲間を呼び、私を含む6人が集まった。

称して「演劇班ミニ同窓会」と。

同窓会と言っても、私自身の活動歴はあまり自慢のできるものではなかったから、話が持ち上がったときには、正直なところ年甲斐もなく気後れしていた。

3年間という、今思えばたいへん短い期間の中でのことで、特に私の場合には1年生の途中に参加して2年生の後半には、はっきりとした区切りも無いままに、いつの間にか辞めていた、そんな中途半端な状態だったものだから、曖昧で正味1年半にも満たない活動歴だった。

だから、出会うことができた仲間の数といえば当然のことだが限られて、今回の集まりでも卒業・入学という出入りの関係もあり、縁あって初めて顔を合わすことができた演劇仲間もいた。


さて、演劇班の同窓会とは言っても、最近の演劇事情に関する話題や当時にこそ活発だった演劇論のことなどからは程遠く、したがって、自ずと昔話に花を咲かせることになる。
恐らくだが、誰しもここで演劇論など戦わせようなどというつもりでは参加していないはずで。ここの場で、もしサルトルだ、ボーボワールだ、実存主義だのをテーマにあれこれ始まったら、どうしよう…、なんて微かに思いつつだったから、とてもホッとしたし、気負っていた自分に気付いたら、少しだけだけれど反省しつつ笑ってしまった。

だから、高校を出たあとに、ああしてこうして…の身の上話から、誰々さんの消息についての話など、小生の場合は三十数年分を一気にして、盛り上がることになる。

他の5人の仲間たちにとっては、私が、ほぼ突然に浦島太郎のような状態でデビューしたものだから、当たり前なことなのだが、それらの話題に集中することになった。
と、同時に相手方のそれに当たる話を、たっぷり伺うことができた。


そのような数々の話の中で、この日を切っ掛けに思い出したことがあった。

それは、地域の高校演劇活動の一環として、演劇の勉強をしようという企画があったときのことだ。
その企画とは、当地の、全国的に観ても極端に短い夏休みを利用して、田舎の演劇高校生たちがプロの演劇関係者を招いて、演劇の勉強をしようというもので、その年の当番校だった私たちの高校が、勉強のテーマとして「舞台照明」を担当したときのことの話だ。講師は劇団M芸で照明美術を担当されておられるH氏。

記憶は、勉強会の開催される前日のことから始まる。

待ち合わせ場所としていた当時の飯田駅で待っていると、たしかな記憶でトヨタ・セリカのクーペ1600GTだったが、1台の車が止まった。
当時の田舎の高校生にとっては、あまりにもカッコよすぎて、その分、記憶も鮮明なのか。
夕方の6時頃だった。
真夏の日ことだから、夕日とはいえ強い陽射しに映された自分の長くて濃い影のことまで覚えている。

「旅館にご案内します」
そう言ってすぐ後に、招き入れられた車の助手席に着いて、ほんの数分のことだった。
待ち合わせた駅から宿となった旅館までの、距離にして数百メートル、ゆっくり歩いても5分と掛からない、その短い時間、助手席の乗り心地は最高だったし、軽やかかな、そして乾いた独特なエンジン音が耳の奥に残っている。

宿では、あまり広くはないH氏の客室(その広さの理由は、高校生が精一杯できる範囲で予約した部屋だった)に通され、けっして緊張していたわけではないのだけれど、その狭さが故に畳の上に正座のままで車座になり、仲間4名でH氏を囲んで話をしたことを覚えている。
しかし、話の内容の大半は記憶が無い。
ただ、仲間のうちの一人が
「飯田までどれくらいの時間がかかりましたか」
という意味の質問をしたことに対して
「6時間」
と答が帰ってきたことは覚えている。
三十数年前、東京とわが町の時間的な隔たりは鮮明な記憶だ。

ところで、本番となった翌日のことだが、今日ではH氏から教えてもらったことの大半を忘れてしまった。ほんとうはここが大事なテーマだったはずなのに、だ。

出迎えに出たときのことや車の車種ことなど、どうでもいいことなはずなのに、楽しいことに現実の思い出とはそんなものなのだ。

ただ「#34」は別だった。

ロアーのホリゾントライトには、たぶんH氏が用意したのだったろう、#34が使われた。
そして、高校の講堂に組み立てられた狭い舞台だったが、狭いとはいえ舞台を横に貫いて余るほどの長くて太い竹製の竿に、麻縄で括り付けられたアッパーホリゾント。
舞台の両袖にいた仲間たちによりロープで引き上げられ、頭上の定位置に納まる。

熱を帯び、かすかなうなりを発するスライダックのつまみが、H氏の指図でゆっくり回り始めると、やがてホリゾントは見事な夕景に変化した。

もちろん、#34単体でのことではなかったろうに。
#34を介して放たれた光の色を忘れない。


H氏、飯田駅の陽射しの色、#34、映し出された夕景…


そんなことを思い出しながら
「アンバー#34」
と呟いたところ、即座に反応が帰って来た。
「夕暮れですね」
と。
一番若い初対面の仲間からだった。

すごく嬉しくて、とても幸せな気分だった。



さて、今回のような暖かな刺激に包まれたことは、ほんとうに久しぶりだった。
初めて出会えた仲間、三十数年を隔てて再会できた仲間、そしてこの素晴らしい切っ掛けを与えてくれた仲間、大切な仲間みんなに感謝したい。
再び、と祈りつつ。


またの日に、ぜひお会いしましょう!


<完>