2008年4月18日金曜日

後期高齢者医療制度と映画「ソイレント・グリーン」

今般の後期高齢者医療制度に関する一連の報道に際してのこと、当のお年寄りがインタビューに応えている姿を観ていて、なぜか映画「ソイレント・グリーン」を思い出した。

それは、1973年のアメリカ映画。
「人口増加により資源が枯渇し格差が拡大した、暗鬱な未来社会で起こる殺人事件とその背景を描いたSF映画」(Wikipedia)だ。人口爆発に伴う食糧不足、その対策として「
老人の安楽死」が制度化された社会が描かれる。

当時、2番館か3番館かで観終わってヘドを吐いた。
いま覚えているのは、チャールトン・ヘストンが出演していたこと、老人が公営の安楽死施設での安楽死する場面でバックに流れていたベートーベンの「田園交響曲」と美しくも「今となっては過去のものとなった地球の情景(映画のな中で)」のこと、それにヘドを吐いたことだ。

なぜ、報道に映し出された老人の姿からこの映画が連想されたのか。
それは「老人」、「安楽死」という言葉で繋がっている。
もちろん、この制度と安楽死、あるいは映画の核心部分とが直接に繋がっているわけではない。
あくまでも、飛躍に過ぎるかもしれない私の連想の中でのことと断っておく。

テレビの中で年寄りがインタビューに応える。
「これまで、何10年と働いてきたのに、国は老人に早く死ねっていてるようだ」
という趣旨の答えだった。

映画が作られたときからこれまでの時間より、ここから先に映画が描いた2022年までの時間の方が短い。
「一部の特権階級と多くの貧民という格差の激しい社会」(Wikipedia)は、映画の中のことではなく、すでに紛れもない現実の世界のことではないか。

私の近くにいる、普段から冷静にして温厚との印象の一人の年寄りが、私の目の前ではっきりと口にした。
「馬鹿にしやがって」

ソイレント・グリーンはともかくとしても、「
後期高齢者医療制度」とは、そういう制度なんだと思う。

<おしまい>


2008年4月17日木曜日

複製の理由

「複製の理由」とタイトルしたのは、ここでは取り敢えずの対象として、いわゆる国宝級の美術品に関してのことである。

昨日のこと、NHK「クローズアップ現代」の番組上で興味深い採り上げ方をしていたのが、本稿に至った理由だ。

さて、その番組の内容だが、掻い摘んで次の通りである。
つまり、国宝級の絵画や屏風絵などの美術品の保存に関して、それらの複製を作る必要性を述べた上で、さらにその先にある問題点が述べられた。

デジタル技術の進歩により美術品をスキャンして、高精細、高画質でデジタルデータにして保管することが可能になったという。
問題は、そのデータの使い途あるいは管理の方法についてである。

世紀の単位で遡る文化財には既に著作権が存在せず、したがって、その美術品には所有権なりが認められるだけ。したがって、所有者の了解、同意を原則に、著作権に縛られることなく複製ができる。
中には、所有者の同意を得るなどの手続き無しの場合もあるとのことだった。
契約書も無い場合となると、信義則に拠るより他なしなのだが、これも袖にされた由々しき結果なのだという。

番組中で最も印象的だったのが、一部の富に複製品が頒布され、所有され、公開されていることだった。
ある会社の社長室と思しき写真が映し出されたが、そこは、複製の国宝級美術品(ちょっと変な言い回しだが、取り合えず雰囲気で理解を願う)が壁から天井に至るまでの満艦飾だった。

法の遵守を前提に、富が美術品に向けられ、それを所有することには、基本的に口を挟むことはできない。そういう社会システムだから。
だが、「しかし…」と考えてしまう。

貴重な文化財を後世に残すために、紙・木の文化であるわが国においては、複製品を公開しオリジナルを厳重に保管する…。
そのことのためにデジタル技術を駆使することの意義は大きいし、必要性を認める。
しかし、そのデータの使い途が本来の企図を離れたときが問題だ。さらには、デジタルデータが故に何等の劣化も無く、容易に複製の複製、そのまた複製が作成され流布される「危険性」さえもはらんでいる。

何から何まで、法に基づく管理下におくことには基本的に反対だ。しかし、わが国の文化的財産の保護に、国の関与が足りないのでは、と考えてしまう。

番組の後半では、イタリアにおける同様の例として、ダヴィンチの「最期の晩餐」が引かれ、そのオリジナルの公開と保存に関する取り組みが紹介されていた。

そのままわが国に置き換えることはできないと思うが、当該公開・保存に携わる担当氏をして
「オリジナルこそが公開されるために存在する」
という意味で語った言葉が重い。

複製品であろうとも、それを承知で所有したり、飾ったりすることの哀れさよ。

レプリカの存在は、万が一のための止むを得なきオリジナル保存のためと心得よ。

なんとか遊園地の例ではないが、某著作権無視大国のことを、他人事とばかりは言ってはおられまいに…だ。

<おしまい>


2008年4月13日日曜日

春の一日

久しぶりに朝からゆっくりできた。

雨が来ないうちに、庭に出て春の一日をパチリ。


写真に収めないうちに盛りを過ぎてしまった草花もあって、
たいへん済まない気がする。

主の気分や天候などで、構ってもらったり
もらわなかったり、では迷惑だろうに。

今日の記録を
ランダムに並べておこう。




スノーフレーク
 (恩師からのお裾分けが立派になりました)




桂の葉
 (愛らしいハート型が人気です。)




プルーンの花
(毎年のことですが、実がなりません。)



タラの芽
 (今晩夕食のてんぷらの分を収穫後)




キイチゴの芽
 (生命力が旺盛でそこここに…)




花の名前不詳
(庭に勝手に着きました・・・調べましょう)
※ どちら様かお教えくださいませ。




レンギョウ 
(もうすでに盛りを過ぎた頃)




こぶし
 (もう仕舞いです。今日の雨で、散り落ちるでしょう)




沈丁花 
(香りの盛りは過ぎましたでしょうか)




花を待つ黄モクレン
(大山レンゲと並んで期待の星です)




月桂樹
(今年こそ実をなんとかしてみたい…)



タラの芽 Ⅱ
(収穫のし損ね。葉っぱの天ぷらも、もちろん美味)




京鹿の子の素敵な緑 
(花も魅力的だが緑も捨て難い)



2008/04/13 撮影



源平桃(花桃)が一輪だけ花を付けていました。
次回はそちらをご紹介できると思います。



2008年4月11日金曜日

その後に思う盗作事件

最近、Google 検索から訪問数が増えたことに気づいた。

もともと泡沫ブログであるからにして、そんなにアクセス数が多いわけでもないから、リンク元のURLにGoogle という文字が含まれていると、非常に目立つのだ。

では、どんな検索キーワードで…と見てみると、「テレビ、小説、新聞」などに続いて「盗作、
オマージュ、パロディ、 トリビュート、インスパイア、リスペクト」などのクロス検索の結果と考えられ、どうも当ブログは後者がヒットされる原因らしい。

ためしに…と、一つ検索してみたら、なんとその組み合わせにおいては、検索結果のトップに表示された。

そして、そこには先に記した盗作事件の記事がインデックスされていた。

まぁ、トップに来たことなど、どうでもいいが(とは言うものの、内心はちょっと感動)、当方のブログなんぞがヒットするとは、何か盗作やその辺りに関する事件でもあったのか、と考えてしまう。

が、改めてこのあたりのことをブログをたどってみてみると、同様の事件が多数あることがわかった。

先の事件の際には、私自身が被害の当事者であったから、そのことだけで周辺の事情など確認する余裕も無かったし、そのことが解決すればそれで落着の雰囲気でいた。

ところが、他の事例における被害者氏においては、たいへん丁寧に事件の内容から、後の経過、処置に至るまでトレースされている例があり、私の対応との違いを見せ付けられた気がする。

私の場合も、「盗作されてるよ」の通報をもらってから決して何もせず、ただ傍観していた訳ではなく、記事の依頼主への通報の他、警告の意を込めて当ブログに事実を報告するなどした。

しかし、他の例によれば盗作者に対する非公開コメントを利用した盗作者本人に対する警告のこと。その警告により該当する記事の削除など求めた様子が記されている。

結果、該当の記事が削除されただけではなく、ブログそのものが無くなっていた例も報告されていた。

なるほど、他の当事者諸氏の徹底的にやっている姿に接して、当方少々恥ずかしくもなった。

しかし、見方によれば、削除の件とて良心の呵責に耐えかねて…の筋書きとも取れるが、穿った見方をすればデジタルデータのことだから、またぞろいずれかのフリーブログで生き長らえている…とも考えられ、デジタルが故の根深さを感じざるを得ない。

中には、その報告記事の時点では「数回の警告にも関わらず削除されていない」というケースもあって、今になって深刻さを痛感した次第だ。

さて、どのような理由でブログにおいて盗作が行われるのか。

盗作した者がどのような立場、出所なのかも分らぬままに想像を巡らしても、ここでは徒労に過ぎないだろう。

しかし、考えるに、従来からの「自分だけの日記」に盗作はあり得ないことで、仮にあったとしても被害者も実害もなく、そもそも盗作とも言えない。

とすれば、第三者が読むことを、当の筆者が予定し認識した上でこそ起こり得ることになる。

「盗んでまで載せるなよ」

と思う裏には、盗むことによる有形無形の利益が潜んでいるからに違いない…とは、浅薄か?

例えば、ブログにおけるネタづまりが言われるが、ネタ集など紹介されている例も多い。

だから、ネタにつまっても、内容までも「イタダキ」の理由が解せぬ。

と、いろいろ考えてみたが、この場限りでは盗作する側の心理にまでは迫れそうもない。

ただ、文章のことだけではなく、画像など平気(か、どうか確かめようがないが…)でブログ、掲示板に貼られている例など、垂直、水平両方向に深さと広がりを見せているには唖然とせざるを得ない。

かつて、ラジオの対談番組を本にしたときのこと。出演者が大勢いたものだから、二次使用の処理についてステーション・出演者のOKどりに苦労したものな…などと、振り返ってみるけれど、そんなこと考えてみても始まるものでもない。

<おしまい>


2008年4月5日土曜日

南信州遠山郷 殿町の茶屋にて

ちょっとした遠出の途中に寄り道。

南信州遠山郷は和田の龍淵寺、
そのすぐそばにある「殿町の茶屋」に立ち寄って、饅頭を買い求めました。

以前に立ち寄ったときは、目的の用を済ませた後のこと、
時間が遅かったものですから売り切れて買えなかった…
というより、売り切れると暖簾をさげてしまうから、
入店さえできなかった、人気の饅頭屋さんです。

もともと、遠山郷は今回の目的地ではなかったのですが、
「この時間ならひょっとして…」
と午前中の随分と早い時間に道を外れて行ってみました。

「今度は早すぎて、まだ、やってない?」
そんな不安をよそに…、今日は暖簾が掛かっています。


帰宅してからゆっくりと撮影会。


本当は、出来立てを店の中で食べるのが一番美味い…
そう、教えられていたのですが。
なかなか、そうも行きますまい。

そんな配慮からでしょう、乾かないようにと一手間、手が掛けられています。


今日は「よもぎ」と「そば」の2種類。
一口大ですから、私はパックリと一気に行くのが好きです。
と、まあ、この辺りはお好みで。


ここでは、私が四の五の並べ立てるより、
ご本人が自ら口にされることをオススメするのみです。

TVのグルメ・レポーターでもあるまいし、
書かないに越したことなし…です。

「ご賞味あれ」

とだけしておきます。

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さて、ここから先は非売品ですから、ご注意ください(笑い)。

ちょうどのこと、お茶を入れて一休みする時間にぶつかったものですから、
お誘いを受けるままに遠慮もせずにお呼ばれしてしまいました。

茶屋のおばちゃんたちの疲れを癒す甘いものなど、番外でご紹介…。


漉し餡で芋干をからめたもの…という解説。
名前は? の質問に…
おばちゃんたち、顔を見合わせ 「???」

これ、売れますよ、ホント。


摘み立てのホウレン草のお浸し。
調味料無しで頂きました。

甘く優しい香りと柔らかな口あたりは、これまでに口にしたことが無い…。
あのザラザラした食感が、歯や舌先に残りません。

隣の畑の方が、
「採れるだけもってきな…」
と。

のどかです。


これも懐かしい。
大豆を甘辛く炊いてあって、ご飯が欲しくなります。



お茶の時間には持ち寄った漬物が欠かせない?

人気ですから…もう、あと僅か!
と思っていたら

「奥にもっとあるに」

と、さらに勧められました。



饅頭屋さんに入って、
饅頭のことそこそこに非売品の報告とは、なんとも妙な展開ですが、
私にそうさせたことこそが
「殿町の茶屋」
の雰囲気を象徴していると言えます。

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馴染みの客でもないのに、まるでご近所さんを招き入れてくれるかのような…
月並みですが、そんな人の好さ、優しさがとても懐かしかった…
久々の遠山郷でした。

「また来てな…」

その一言がうれしい。

「…また、来ます。」



<おしまい>