2008年4月30日水曜日

勝手に広報します。 「特定非営利活動法人 green bird」 のこと



こうしたブログの広報姓を利用したであろう社会貢献プログラムとして、
特定非営利活動法人 green bird
が発信する、
「次の休日、一緒におそうじしてみませんか?」
というタイトルのリリースがあった。

こうした場合には、りりースの企図するところが2つあると思う。

① そのプログラムを運営する組織なり団体、そのものの名前の認知向上を図ること。
② 本来の目的とする活動、そのものへの参加や協力、理解を促すこと。

今回のリリースは私にとっては、②の要素が大きかった。

http://greenbird.jp/

そもそも、「green bird」の取り組みについては、全国的ネットでTVに採り上げられていたりするから、私のような情報、文化に関して辺境の地のいる者であろうとも、その存在は認識していた(笑)。

ただ、徒党を組んで寄って集って(笑)、大勢が集合する何かのイベントに参加してというわけにはいかず、その組織の趣旨に賛成の立場でいて、かつ、黙して「ポイ捨てしない宣言」をし、遠くから見ているに留まっているのがせいぜいだった。

その折、こうして組織の存在や活動内容の広報というところで参画する機会を得て、微力ながらも協力させて頂いているところだ。

さて、経緯はともかくとして、人はいつ頃からゴミのポイ捨てなど、心無い行為をするようになってしまったのか。

一方で、人為的な不心得なゴミを拾って集める人々がいながら、一方でその真反対の者がいる。

大真面目に
「ポイ捨てしないで」
とか
「かっこ悪いゼッ」
って、啓蒙して回る人々がいる。

人為的な心無いゴミのほかにも、自然に街路が汚れることはあるわけで、そうした意味で、こうした運動の全てが悪に対峙しているものとは考えない。
仮に、ポイ捨てが絶滅したとしても、善意の清掃活動が存続する可能性は極めて高いし、その存続に値する理由があると思う。

全体の中に占める善玉・悪玉の陣取り合戦のようなものだと思う。
善悪に関する二言論の危険性を承知した上でのこと、ポイ捨てという行為について如何なる理屈が尽くされようとも、そのことに正当性を認めるわけにはいかない。
だから、ポイ捨てを否定し、そのゴミをキレイにする人々の活動は、ゴミをキレイにすることにおいて理屈無く善なのである。

ポイ捨て撲滅といっても、ポイ捨ての行為を無くすことであって、そうする人を撲滅するわけではないわけで(笑)、どうそりゃイイんだろう。やはり、陣取り合戦なわけで、味方をいかに増やすか。

積極的な「ポイ捨て派」がいるかどうか不案内だが、しかし、少なくとも公然と「ポイ捨て促進運動」を展開している一派がいるという情報は得ていないので、となれば陣取り合戦においては、理論上は時間の問題で解決できるはずなのだが(笑)

ニューヨークだったと思うが、地下鉄にし放題だった落書きを無くしたら、その街に治安が回復したと聞いた。
二つに因果関係とまではいえないものの、相関関係が見出せるらしい。

ホームページには、いみじくも
green birdとは、『きれいな街は、人の心もきれいにする』をコンセプトに誕生したプロジェクト」
とある。

ここで「人の心」にまで言及していることについて、そうありたいという運動主体の気持ちは理解できるものの、私としてはここで精神論までを持ち出すことには多少の疑問を感じながら、しかし、街がキレイになる…、キレイなままである…、そのことには手放しで期待したいと思う。

ここで、こうして、このテーマで、大真面目にキーボードに向かっている、…私にその機会を与えたことだけでも、このプロジェクトは、ほんの少しだけだけれども、価値があったと思うよ。

ホント。

<おしまい>


2008年4月28日月曜日

ボランティアに参加のお願い / health for all (すべての人に、保健医療を)

ブログパーツを通じて大きな問題の解決に参加してみませんか?
今回はボランティアとしての参加のお願いです。

すべての人が必要な保健医療を受けられる世界を作りだす。
こんな「変革:Change」に、今すぐ参加しませんか?

参加の方法は簡単。

オックスファム・ジャパンのMe Too署名フォームから、名前を記入していただくだけです。



届いたリリースによれば、現在、1日に3万人以上の人々が予防と治療が可能な原因で命を落としているそうです。医療が不足している…らしい、という雰囲気は判っていたつもりですが、数字まで提示されて理解したのは、今回が初めてでした。

月並みな感想ですが「ショック」です。

私たちは、当たり前のようにして、必要な時に医師にかかることができ、薬を買うこともできます。

しかし、世界の多くの人々にとって、これは「叶わぬ夢」であることが、まるで「当たり前」のようになってしまっています。

だから、その「叶わぬ夢」を「叶う夢」にできるようにと、いま『「me too!」キャンペーン」』が展開されています。

保健医療サービスの欠如は、人々に大きな代償を強いています。想像しがたい数の人々が、予防・治療可能な病気によって命を落としています。
●毎分1人の女性が、妊娠や出産に関する問題で亡くなっています。
●4,000人の子どもが、下痢で命を落としています。
●1時間に300人もの人々が、エイズによって患った病気で亡くなっています。

キャンペーンの内容は、今年7月に北海道洞爺湖で開催されるG8サミット(主要国首脳会議)に向けて、日本全国からの声を集める呼びかけをしているとのことです。

すべての人が必要な保健医療サービスを受けられるよう、署名、または、このブログパーツをあなたのブログに貼ることでボランティアにご協力いただけないでしょうか。

ささやかですが、私のブログにもパーツを貼りました。ご参考としてください。

https://www.oxfam.jp/whatyoucan/campaign/blogparts.html

あなたのブログに貼られたブログパーツを通じて、この切なる願いを大きくすることができます。

「すべての人に、生きるチャンスを」



皆さんのご協力を、ぜひお願いします。


2008年4月25日金曜日

そもそも、火が走るわけではない。

「火」とは、「化学的には物質の燃焼により発生する現象」と定義するらしい。

あまりにも、身近に過ぎて、なにも難しい説明をする必要もないと思う。
さらに、人類は火を手に入れたことによって、人類たる根源を得た、とも言われている。

人だからこそ、火が使える、一定の範囲内であればコントロールすることもできる。

ところが、ここ1ヶ月に満たない期間のことだが、火という化学現象に、人間たちは翻弄されている。
制御されてさえいれば無害のはずの化学反応に、まるで人間がコントロールされているようだ。

まるで脚のある「火」がタラップを降りてきて、日本の大地にその第一歩を標し、そして一路長野市に向かっている…といった言われ方をした。
何なのか、その誇張表現。
今日一日の報道に見られる、例の一件に関する大方の姿勢だ。

例の一件とは以って回った言い方だが、当然に北京オリンピックの聖火リレーこと。
(わが国で聖火とはよく言ったもので、英語では単にトーチ…松明「たいまつ」なのだが…。もし、トーチに「聖なる火」の意味を与えたとすれば、それはヒトラーのナチスドイツ、あのベルリン五輪以来のかなり後発的な理由によるはずだ。)

そもそも、あの曰くつきのベルリンオリンピックに際して始まったという、なんとも因縁めいた歴史が、その何たるかを物語っているようにも見えるが、かなりバイアス気味の見方かな?

今回のオリンピックに限らず、その火が消えたらな消えたで、マッチやライターによる化学反応、燃焼と何が異なるのか、私には理解できない。
正確のために記すが、今回のオリンピックだから言っているわけではない。
どこそこの人権問題とか、何とかの弾圧の問題とその化学反応の結果を位置的に移動させる問題とが関連付けられているが、ここでは、そのこととは切り離して論じている。

そのこととの関連まで、ここで論じようとすると、ちょっと荷が重い。
だから、その役目は別の場所に譲ろう。


本論に戻って、化学反応の結果であり、その結果の連続性に対して、さも人格が宿ったかのような特別な扱いをもって報道し、評論するのか。

彼の国が自ら仕掛けた一大プロモーションが、果たして彼の国の内国問題として、その問題に対する言論が国内に集中していることには、そもそも彼の国の政府が企図したところなのではないか…などという穿った見方さえしてしまう。
いわゆる彼の国における国家主義の増長、増進という画された現象だ。
(しかし、その「火」の経路、行く先々で、彼の国が意図しない、もう一方の問題の存在をも喧伝してまわっているとは、何とも皮肉なものだ)

さて、
「話題の化学反応の産物は、無事にその反応の状態を継続して、絶やされること無く継がれていくのであろうか」

反応を継続させることに努力も必要だが、継続を絶たれた反応を回復する知恵を、われわれは備えている。
マッチとか、ライターという知恵は、この場合には知恵とは言わないのかな?
「悪知恵」なのかな?

そんなに、しゃっちょこばらずに、なるようになれば、いいんじゃあない。
もっと、お気軽に、お気楽に。

命懸けて守るなんて…消えちゃったら、
「あっ、消えちゃった」
…なんて言いいながら、
シュッ…、
あるいは、
カチッ…、
はたまた、
シュボッ…てね。

「継がれる」を企図した化学反応が、何らかの理由で耐えたって仕方ないじゃない。


それにしても、3000人ものポリスまで投入して、維持すべき化学反応って、いったい何なんだろう?
まかり間違って、そんな馬鹿馬鹿しい理由、つまり化学反応が途絶したことを理由に、人が責任を問われたり、結果として人生を棒に振ったり、まして誰かが傷ついたり、それが原因で諍いになったり、戦争が起きたり…そんな愚かしいことは、起こり得ない、そう信じたい。

とかく、そうした馬鹿馬鹿しいことを、馬鹿馬鹿しいと理解していながら、我々にはその馬鹿馬鹿しいことを何度となく引き起こしてきた歴史がある。

今回のことにしてみても、自分たちのことを十分に信頼できていない。

それが、なによりも悲しい。





2008年4月22日火曜日

国に対する信頼の尺度と対価

ここでいう信頼とは、国民が国に寄せる信頼のことである。

それを何で測るのか、さまざま物差しがあろう。
だが、ここで敢えて私は「税率」という点に着目したい。

私なりの結論から申し上げると、国に対する信頼は税率に比例する…という相関関係があるように思う。

というのは、わが国の所得税率は欧米諸国のそれに比較して、最も低い。
消費税率も然り。
では、そのことを手放しで満足できるのか、自慢すべきなのか?
否、そう単純にはいくまい。

わが国の現状に鑑み、高税率を素直に可とすることはできない。
その理由はどこにあるのか。

課税主体、つまり国が信頼されていないからではないか。


かくのごとく、国民が国に寄せる信頼の度合いは、この税率によって測ることができると思うのだが、皆さんは如何だろう。

確かに、何の根拠もなく高い税率を自ら望む者は無いであろう。
しかし、高い税率であっても確実にして高いリターンが保証され、かつ、税の使途に対する透明性が担保されていさえすれば…話が異なる。

そう思うと、今般の暫定税率法案の趨勢に関して取り沙汰された様々な議論に、信頼の何たるかについて縮図を見ることができよう。

だれしも負担(税)は少なく、されど必要な負担として大方が認めるものは已む無し、の構えだ。

税金が安い…というのは、とりもなおさず、国家が信頼されていない…ということではないか。

国民生産の再配分という意味における税の必要性、妥当な負担を認めながら、しかし、担税の妥当性を担保する手段と配分の方法などには、ただ今のところ疑問を呈さずにおられない。

取りも直さず、私が国に対して信頼を寄せていない証である。

<おしまい>


2008年4月20日日曜日

2008 春~初夏の恵み

友人からの思いがけない、春の恵み。
お裾分けがありました。


本日、午前中に獲れて、午後一番に撮れています。

泥つきですが、写っていますか?

正真正銘の獲れたてなので、刺身でも…
と思いながら、
灰汁抜き用の糠を買い求めに走ります。

「友よ、わが家は何でも喰らうからな!」

心配せずに何でも持ち込まれよ…だ。




というわけで、記念の…、証拠のワンショット。

ついでに、身近な草花の現況を写真でレポートします。



母の日間近、庭のカーネーション。

「u…、…m」



タラの芽のなれの果て。

食す、食さない…の限界点。

でも、僕は6月末のそれまで、美味しく頂くのだが。

要するに、天ぷらにしたところで、

苦い…、
とか、
苦くない…
とか、

嗜好の分かれ道…。

お嫌でしたら、無理を為されずに…



他様に比して、肥料不足を否めない「吉野つつじ」



源平桃

正式名称か、詳しくは知りませんが、

源平、即ち、紅白のたとえ。

1本の桃の木に紅白入り乱れての開花は見事なはず(?)

花が早すぎたのか、思ったほどに咲かなかった。

苗木から、たった3年目の春だから…

とは、親バカなりか?




前回に同種の企画で予告した

「月桂樹の花」

確実にほころんでいる。



全盛を前にハナミズキ。



フェンネルの新芽

何度かの冬を越して、わが家にその存在を明らかにし、

居場所を確保した模様。

「あやかりたい」

目立たないけれど、魚介類とオリーブオイルの親しい友人。

オススメは口中の清涼感、…まさに、サラダが絶品。

でも、好き不好き…強制はしません(笑)

胃の調子の悪い人、かつて悪かった人には、

どこか懐かしい風味がすることでしょう。



さて、しんがりに控えしは…タラの芽ならぬ「葉」です。

天ぷら感覚で素揚げが好きです。

一振りの塩。

至極の食感。

友人によりもたらされたタケノコと

わが家のタラの"葉"…

夕餉は春のコラボを予定しています。


友よ、ありがとう、タケノコ…

友よ、わらび、ぜんまい…OKです。

友よ、その他、口に入るものは何でもOK。

(但し、冷凍食品は餃子を始めとして生き物として拒否反応。
念のため、国の内外を問わず、メーカーを問わず。)

友よ、ご心配なく…だ。

というわけで、ここで限定列挙した品を除き

わが家では大歓迎。

待ってますよ!

(笑)。


<おしまい>