2007年8月19日日曜日

相変わらず暑い。

厚い…熱い…篤い…暑い。
間違えるほどに…暑い。

8月になって、ちょっと夏休みしていたら、もう半月以上過ぎちゃって。
暑いからブログもお休み、といったところ。

今日は多少、過ごしやすいかな、と思って温度計を見れば、室内で31度、床面28度。
OMソーラーの限界を超えている?
クーラー嫌いは当方の責任とあきらめて、ゆっくりお付き合いしましょう。

もう少し日が傾けば、やがて窓越しに涼しい風が入ってくるはず。
ブログでも書きながら時間の経つのをじっと待ちましょう。

24時間TVでも観ながら。


<おしまい>


2007年8月17日金曜日

観測史上最高気温 40.9℃

暑い。とにかく暑い。

昨日に「猛暑日」のことを書いていたら、まさにその当日には観測史上で最高気温を記録したそうな。
それも全国2都市で40.9℃とは。少しぬる目の風呂の温度か。

39℃程度のぬる~い湯が好きな私には、水でも足しながら、つま先でかき回してから浸からなければなりません。

とても空気の温度とは思えない…。

こう一言つぶやく程度で、今日もガマン…ガマンの一日が始まります。


<おしまい>

2007年8月16日木曜日

猛暑日

猛暑日?

さて、天気予報やニュースでこの「猛暑日」という言葉を耳にして、聞き馴染みが無いなぁ…と思っていたら、やはり、私の聴覚と記憶は正しかったわけで…。

もちろん、猛暑なんていう言葉は知っているし、使ってはいましたが、気象を表すアカデミック(?)な用語としては、初出だったわけですね。

つまり、「猛暑日」とは
最高気温が35℃以上の日のことで、 気象庁が今年(2007年)の4月1日から使用を開始した気象予報に関する用語とのこと。
11年ぶりの大幅な用語改正で追加されたうちの一つだそうです。

なみに「夏日」は最高気温が25~29℃、「真夏日」とは同じく30~34℃、
「熱帯夜」とは夜間の最低気温が25℃以上の日のことです。

しかし、地球規模の温暖化傾向の影響を受けてか、1日の最高気温が35℃以上の日がわが国でも1990年以降に急増。
この10年間(1997~2006年)の東京、名古屋、大阪、福岡、いわゆる主要4都市における35℃以上の日が計300日以上と、1967~76年の3倍近くになっているそうです。

このため、「夏日」と「真夏日」に加えて、35℃以上の日として特に「猛暑日」を定めて、これが登場することになったわけなんです。

そういえば、私が子供の頃の遥かに遠い、淡し記憶では、
「暑い、暑い」
と言いながら、寒暖計に目をやれば、指された数字は30℃が関の山。

32℃にでもなった日には
「暑くて死にそう」
と言ったか、言わなかったか。
とにかく辺りは異常事態だったような。

あくまでも感覚的な記憶のことで、記録があってのことではありませんが。
同年代の方と話すと、皆さん多かれ少なかれ同じような記憶を背景に、同じような意見をお持ちのようです。

そんな暑さの中、クーラーなんぞというものは、公共施設とか、客相手の商売の店舗とか、よほど大層な構えの家とか…に限られていて、庶民はといえば家の内に外に日陰を工夫しては、あるいは各所に水を打ち、団扇で体にかすかな風を装いながら、夏を夏なりの夏さと共に過ごしていた…そのような記憶です。そして、朝に夕に時間を選んでは真昼の暑さに痛んだ体を安め、明日には巡るであろう再びの暑さに備えたものでした。
そうした暮らしの中で、35℃なんていう気温を過ごした記憶は、ほとんど無いというのが確かなところです。


ところで、わが家は当節、家内中がクーラーを嫌って敢えて家に設備していないため、例年に比べてことの他、今年の暑さに対策の工夫が求められています。

積極的に冷房する設備の代替設備には決してなり得ないことは明らかなのですが、わが家に設備されているOMソーラー(いわゆるパッシブ・ソーラーの草分け的なシステム)をして、猛暑日には並々なら工夫が求められているのです。

設備して以来、夏の外出から戻って室内に入ると、確かに
「涼しい。これなら居られる」
そう直感できていたのですが、今年は部屋に入っても「ドッカーン」とした暖気が重く肌にまとわり付いてくる気がして、とてもじゃあないけれど涼感を得た気がしないことの日が多いのです。

構造上、OMソーラーに責任があるわけではなく、そうした生活様式を自ら選んで、そうと納得して暮らしているわが家に住人にとっては、この暑さを「苦痛」などとは言っておれません。
考えて、工夫して、対策して、必ず巡る次の季節を期待して、ここ何日かを乗り切りましょう。
クーラーのないことを自ら恨んではいけません。意地にかけても…です。

さて、そんな暮らし向きの納得を求められていること自体、かつて、私が幼かった頃の夏の日のことを思えば、極めて贅沢な話です。
しかし、やはり「猛暑日」を制定するに至った背景については、そんな私の実感や求められる暮らしの工夫によっても、しっかり裏付けることができそうです。

とにかく暑い!


<おしまい>

2007年7月31日火曜日

AdSense のリンクターゲットとして 「参議院議員通常選挙」について

先日のAdSense について記しましたのに引き続き、具体的な例を示してリポートします。


定時観測として本日7:30AM時点では、「Ads by Google」と表示されたスポンサードリンクのリンクは以下のとおりでした。

ブログ
ビジネスブログ
ビジネスブログ構築
ビジネスブログ作成

(以上、表示の順。但し、いずれにリンクされるかは当方では確認(クリック)していない)

おそらく、ここ数回にわたってBIZLOGやブログあるいはAdSenseに関連した話題が集中していたことを反映してのチョイスなのだと判断できます。
それ以前に、新潟県中越沖地震をテーマに1回だけコンテンツを作成した際には、まさに、地震・新潟それらをキーとしたリンクが表示されていた記憶があります。このことは既に記したとおりです。

したがって、ここまでにもそうした変化が見られたわけなので、これを受けて今日は更に変化を見てみたいと思います。

選んだテーマは「参議院議員通常選挙」について。

<以下、本文>

平成19年7月29日は、わが国の議会制民主主義における大きなターニングポイントとなるべき期待を込めて、私の記憶ばかりではなく歴史にさえも刻まれることになるであろう。
もちろんのこと、国政レベルの選挙で全てを記憶しているわけではないが、私には今回の参議院議員通常選挙を含めて3回の印象が鮮烈である。

今回は終わって間もないことから、記憶というには新しく、かつ、鮮明にすぎる。

以前の鮮明な記憶の1つ。
その選挙とは、あの土井たか子(日本社会党中央執行委員長:当時)をして「山が動いた」と言わしめた1989年の第15回参議院議員通常選挙である。

今から18年前のこと。当時の私は東京にいてMacを使って、いろいろ始めた頃だった。
まだ幼かったわが子の手を引いて行った選挙。出口で風船を2つ貰った画が目に焼きついている。
この時、自由民主党は今回をさらに下回る、これまた歴史的な大敗であった。

「山が動く」、「…動いた」とは、何かが変わるであろう期待を抱かせるに十分なインパクトのあるフレーズであっが、しかし果たして歴史は、そして私自身は、そうした期待に溢れた未来への変化を体感することができ得たであろうか?

今回の選挙も然り。
不鮮明な茫洋とした諦観を伴いつつ「歴史は繰り返す、されど人生は戻らず」か。

さて、もう選挙に関する一つの記憶といえば、1977年の第11回参議院議員通常選挙である。
選挙の記憶とは言っても、前出のものとは全く毛色が異なる。
つまり、現在の選挙制度と異なって選挙区が全国区・地方区とに別れていた時代に、ある全国区の候補者の選挙運動を手伝った経験のことである。

こちらはどちらかというと、私にとって政治の色は薄かった。
選挙に関わることになったきっかけといえば、ある政治青年が崇高な政治理念を具現化する一手段として…などと大げさな大上段の構えからではなく、若さゆえ多少のもの珍しさも手伝って「こわいものみたさ」、「好奇心」がきっかけだったように記憶している。

今は制度が変わったそうだが、いわゆる選挙運動員のバイト代は、当時として破格であった。
事前の準備(運動?とは言わず)から事後の収支報告など、後方付けまで含めて1ヶ月半も泊り込んで24時間仕事していたら、田舎から仕送されていた額の数ヶ月分を臨時収入として手にした。

しかし、きっかけは非政治的な、つまり金銭というある意味で純粋かつ明確な動機からではあったが、しかし開票当日の深夜に当の候補者が当落の線上ギリギリにあって(当時の全国区は50人が改選数だった)、選対本部事務所でハラハラドキドキした記憶である。

ところが、正直なところは○○党の本部で総裁の椅子に腰掛けさせてもらった…とか、
○○派の事務所がある△プリンスホテルに用を頼まれて行ったら、秘書がホテルの本格カレーをご馳走してくれた…調子に乗っておかわりした…美味かった…とか、
そこに派閥の長の△△がいて、とりまきの▲▲が出たり入ったりするのを見た…とか、
今思えば、そうした「ミーハー」な記憶こそが妙に鮮明なのである。

<本文ここまで>

さて、そのような私の記憶などだらだらと披瀝してみたところで、首相がどうするや、今後のわが国がどうなるや、こうなるやではないはずなので、この辺にしよう。

(私が政治に無関心なわけではないが、当ブログのテーマに鑑み、この辺にしよう…というのが正確なスタンスです。時と場所が許せば、論じるに事欠かないテーマの一つであることは間違いありません。)

むしろ、ここでの問題は、AdSense のリンクの表示に変化が表れるか否かです。

まず、今日やってみて、状況に応じて何やら変化が現れるまで、選挙をキーワードに試みてみます。

ひとまず今日のところは、ここまでにして、今後はコメント欄でフォローします。


<おしまい>


2007年7月29日日曜日

コンテンツ向け AdSense のこと

AdSenseに「コンテンツ向け AdSense」と表示されたサービスがありました。
好奇心に駆り立てられて当ブログでも設定させてもらっています。
その設定について表された説明文には次のようにあります。

「お客様のサイトの独自コンテンツをターゲットにした広告を表示します」

当初は意味するところが全く理解できませんでした。

しかし、注意深く観察してみると私の理解度を別にして、実によくできていることが分かりました。
ご存じない方のために、体験的な例を記します。
例えば、当ブログ内で先の新潟県中越沖地震について記した直後には、これをタイトルとしたリンクが表示され、その後には記されたコンテンツの変化に応じて、リンクのタイトルが変化していくことです。

・コンテンツに応じて広告のリンク先、つまり広告主が変化します。
・リンク先はピント外れではなく、コンテンツ内のタイトルやキーワードをある程度、正確に反映している。

以前に、ブログは従来のコミュニティーのようにユーザーを閉じ込めない、という趣旨の記事を書いたことがあります。共通する傾向を有する消費者を「閉じ込めて広告をする」場合と、ブログのようにトラックバックやRSSの機能により流動するユーザーに対して有効に広告する場合とでは手法が異なると考えます。

「コンテンツ向け AdSense」はこれに対する、解決策のひとつと言えます。

例えば、「信州蕎麦」のことを中心に記されたブログに、とにかく「蕎麦」に関連する全般のリンク先とタイトル、つまり広告主とコンテンツに関するリンク先が表示されていたら、そのブログを訪れた読者の関心事にヒットする確率が高いでしょう。

しかし、ヒットの確率が高いからといって、このリンク作業をブログを書いている本人が手作業で行うことは、現実的ではないことも事実です。
まして、それが商業広告であればなおさらのこと、広告主を見つけたり掲載料を設定したり、回収したりなどの作業は出来るはずもありません。

ブログのコンテンツをGoogle側で自動的に読み取って、関連する広告リンクを表示するというのは、非常に優れた仕組みなわけです。
もちろん、ブログのオーナーとしては表示して欲しくない、ある傾向の広告もあるわけですから、オーナーの設定により特定の広告主を選択して表示させることもできます。

固定化したコンテンツの表示を得意とするホームページとの差が表れています。


<おしまい>