2008年7月18日金曜日

再びブログについて思うこと

朝日新聞が運営するサイトに「朝日新聞アスパラクラブ」があるが、ここに今日付けで「『ブログ』についてのアンケート」が掲載されていた。
好奇心も手伝って回答したのだが、やがてどのような形で集計されていずれかの記事に反映されるのやら興味がある。

つい最近のこと、ブログ仲間の記事を読んでいたら、総務省の統計として今年1月末時点、国内のブログの数が1690万件ある、との報道がされたそうだ。
単純に考えれば、このブログも1690万分の一ということで、国民7人に1人くらいがブログを開設している計算になるのだが、さて。

前後して、NHKのニュース番組では「迷惑ブログ」なる特集を報じていた。聞けば、一人で50も60もの「内容の無い」、迷惑ブログを運営しているケースがあるという。
内容そのものが何某かの法律に抵触するものや、モラルに反する誹謗中傷など内容そのものが迷惑あるいは違法なものはもちろんだが、番組内では「内容の無い、内容に乏しいブログ」の乱立を問題にしていたと思う。
いずれかの仕組みで報酬を得んがために、ブログの更新を自動化するソフトまであり、また、その記事の大半がいずれかの報道記事等の引用だったりするそうだ。
だから一見すると「しっかりした内容」が記されていそうなのだが、その内容はオリジナリティの無い、著作権に抵触するであろうものであり、実はそうすることの目的が別にある・・・ということらしい。

そうしてみると、先の「国民7人に1人」という計算の精度も怪しくなるというものだ。

話はアンケートに戻るが、「ブログはルールやマナーにしたがって常識的な対応していればよく、まずは始めることが肝心」という旨を回答した。コンピュータやインターネットの技術だのは、後から付いてくるものだし、要するに慣れの問題としておいた。
ただ、だからといって、手放しでブログを礼賛というわけではなく、好き不好きの問題だから最終的にはご自由にどうぞ・・・の構えだ。
一方で、無理解、不認識なるが故の
「ブログあるいはネット=悪いもの、諸悪の源」
といった短絡的な発想で片付けられる風潮があるようであれば、それに対しては一言といわず、二言でも三言でも申し上げなければなるまい。

中には、先のNHKの報道にあるとおり「迷惑ブログ」もあるだろうが、大多数のブログは「迷惑ではない」と信じたい。私の場合、ブログ仲間の数としては少ないかもしれないが、周辺は皆さん「迷惑ではない」ブログを運営されている。

ただ、少々気になるのが、ブログのユーザーグループのことだ。
SNSの場合は登録したASPの中、つまりクローズドな環境下で情報の公開や閲覧が行われるものと思うが、ユーザーグループの場合は別々のブログASPを横断的に取りまとめてオープンなスタイルで運営されている。
「ブログを閲覧しました」、「訪問しました」という証拠を何らかの形で残して、その証拠をたどって、今度は閲覧や訪問を促す、高じて「ブログ仲間になろう」という仕組みだと思う。
そのことに何等の問題があるわけでもないのだが、「閲覧しました」、「訪問しました」の証拠が即ち、「ブログを読みました」にはなっていないことに気付いたら、そうしたグループや機能の意味がよく分からなくなった。
群れる必要はないでしょう・・・って。

一部のフリーブログASPの中には、ブログの機能として「訪問の証拠」を残す機能が装備されているものもあるが、それとて「読みました」の証拠にはなり得ない。
だからどうだ、と言っているわけではないが、そもそも私自身がこうした機能の意味や利用の意図が分からなくなったまでのことだ。

そういえば、ブログを始めた当初に、初めてその「証拠の機能」で印を付けたら、その相手先のブログオーナーからこう趣旨の返事が帰って来た。
「本当に読んでくれていますか? でなければ、無用な印を付けてくださる必要はありません」と。
「読まないのなら印を付けてくれるな、読んくれたとしても付ける必要はない」
と宣言されたことに、初めての経験だった私は面食らった記憶だが、今になってみるとその意味が少し理解できたような気がする。
私は、この方のように我が立場を毅然と表明するほどの問題意識も、確たる信念も無いし、付いていても付いていなくてもどうってことはないのだが。

アクセス数に一喜一憂し、ランキングを競って遊ぶ楽しみ方も、それはそれでアリと思えば、「印を付ける」ことの動機がその辺りにあっても仕方ないかなと思う。
せいぜい他人様にご迷惑を掛けない範囲でね。

まぁ、あれこれ考えてみたけれど、自らが手軽にコンテンツを発信できるツールを使って楽しんだり、啓発したり、されたりすることに、何らの問題もないと思うよ、ホント。

<完>


2008年7月7日月曜日

すももジャム

まず、出来上がりの写真からご披露します。

容器は不揃い、多少の大小の差はありますが、瓶詰めで15本です。
熱湯消毒し
た容器とは言っても、ジャムそのものは、もちろん防腐や酸化防止の処理など、一切してありません。どの程度、保つものやら不明です。
冷蔵庫に容れて保存しますが、
いずれにせよ急いで食べなくては・・・

値段の高騰のため、ここのところ遠ざかりがちだったパン食の頻度が増すかもしれません。



既にご紹介した、火にかける直前の様子です。
複数のレシピによれば、ひたひたに水を足すとするものもありましたが、わが家の場合は少し置いておいただけで果汁が上がってくる様子が分かりました。
というわけで、水は一切加えません。



果肉と種とを外すような感覚で、ヘラで軽く突きながら、かき回せながら弱火に掛けていると、次第に皮が外れ、種が外れ、鍋肌から細かな泡が立ってきました。
煮詰めるにあたり、特に注意したことは、
「焦がさないこと」
これだけです。



鍋の中で煮詰まってきた果汁の色が、だんだん濃くなってきました。
種が外れたと思われることを見計らってグラニュー糖を入れます。
よく解けるように、ゆっくり掻き回せながら、様子を観ながら結局3回に分けて入れました。



煮詰まるにしたがって、果汁の色がますます濃くなってきました。
ブルーベリーのような色合いです。
この頃になると、果肉から外れた種が表面に浮いてきます。次第にジャム化して、比重が大きくなってきている証拠でしょうか。
指先に採って舐めてみると、まず酸っぱさが勝って、後から甘味がやってくる、という感じです。



レシピに拠れば煮詰める時間は1時間程度とありましたが、なんだかんだで今回は弱火でほぼ2時間。
まだ、鍋の中はまだショロショロの水っぽい感じが残っていますが、おそらく冷えることで、私たちが承知している、あのジャムの質感に変化することになるのでしょう。
鍋の中でジャムの質感が得られるかと思っていましたが、それは無理なようです。
家人によれば、
「イチゴやマーマレードの時と、少し様子が違う」
とのこと。
レシピに記されている「火から降ろす頃合」とは、異なりますが火を止めました。

火を止める直前に、種だけ取り出してておきます。
(この種を水に浸けておくと「すもも水」ができるそうです。早速、やってみます)

これで完成です。



出来た、出来た・・・と喜んでおりましたら、鍋の中に完成した写真を撮影するのを忘れてしまい、いきなり冒頭の瓶詰めの写真までジャンプすることになってしまいました。

一晩置いて、朝食は当然のこと、すももジャムのトースト、すももジャム
を加えたヨーグルト、食後のデザートにすももの実・・・すもも・すもも・・・尽くしです。

これまでに口にしたことが無い酸味が立った、しかし、程よい甘さとバランスした、上品な味と香りのジャムです。
心配していたトロ味の質感ですが、一晩冷ましたことで予想通りの立派な「ジャムの質感」に仕上がっています。
むしろ、添加物などでジャム感を調整しているとされる市販のものより軟らか目なことから、パンの上では滑るように気持ちよくのびてくれます。

というわけで、「すもも」の収穫に始まり、「すももジャム」に終わった週末でした。

<eof>


2008年7月6日日曜日

続 わが家の「すもも」

一昨日に続いて今日は朝から「すもも」の収穫です。

前回は夕方も随分遅くのことで、高い所などの作業は危険と思い、とりあえず手の届く範囲のことにしました。
あれから丸1日半。
そのときには部分的に緑がかっていたわが家の「すもも」でしたが、昨日1日、梅雨は明けないものの気温30℃超という真夏を思わせる陽の光を浴びて、しっかり完熟。収穫時期を迎えた様子です。


少ない経験から申し上げることですが、本当に完熟していると、意識して実を「捥ぐ(もぐ)」というよりも、ほんの軽く触れただけで柄から実が零れ落ちてくる、そのこ とがよく分かります。ですから、少々熟し方が足りないと、捥ぐ際に少し力を入れて捻ったりする必要があります。それも、だんだん慣れてくると力の入れ具合によっ て、その実を収穫するか、しないを見極められるようになります。
(ただし、農家が市場に流通させる場合には、消費者の手元まで届くであろう日数など勘案して、相応の期間分だけ早めに収穫するのでしょう。仮に、いまここに記したような、わが家の物差しで計って出荷することにな ると、おそらく1~3日後には、実が熟れ過ぎて表面の皮が破れてしまうでしょう。たしかに、一昨日に収穫したもののうちに、いくつも"腹切り"した実がありま した。)

あれから、たったの2日間だけのことですが、わが家はにわかに「すもも」の自家栽培"家"になってしまったような雰囲気です。

成果は、竹の笊に3杯。1杯が1.5Kg見当でしたので、今日だけで5KG近くの収穫があったことになります。前回のものを含めると、ここまで7Kg超に及びます。
さて、未収穫のものを含めると…、本年の結果はどれほどになりますでしょうか、楽しみです。


この思いがけない収穫の使い途ですが、あれこれ検討の結果、2~3日分の生食・お裾分け用を残して、他は「すももジャム」とすることに決定。その結果、グラニュー糖2Kgに対応する量の「すもも」をジャム用に選別しました。

WEBサイトには、「すももジャム」の作り方として数多くアップされていて、かえって驚きました。
まったく現金なもので、見向きもしなかった折には知りもしなかった「すももジャム」が、1日2日のことで急に現実味を帯びてくる、妙な縁です。


生食用にキズのないもの、色艶のいいものを選び出し、残りをジャム用として分別するために、ひとつ一つを丁寧に手にとっては調べ、ジャム用のものは包丁でキズ付いた部分を外すなどして、十文字に切れ目を入れました。
レシピを見ると、その多くは「手で潰す」、「器具で潰す」などして、火を通す時間を短くするように、と書いてありますが、わが家の「すもも」では、十文字に包丁を入れる作業のうちに、手の中で形が崩れたり、タネが外れたりするほどに熟していました。


グラニュー糖の量ですが、レシピにより「すもも」と同量とするケースから、同じく8割~6割の量とするケースまで、かなりの幅があることが分かりました。
わが家では、素材が完熟していることから、市販の「すもも」より糖度が高いであろうことを勘考し、また、糖分控え目を考慮に入れて、「すもも」の量の6割相当のグラニュー糖で作ることに決しました。
「すもも」の量にして3.3kg。(大きく深い、わが家の鍋のほぼ半分程度にまで達しています)

ご覧のとおり、わが家の「すもも」は大きな鍋の中で、煮詰められ、砂糖が加えられるのを待っています。

というわけで、出来上がりについては、当ミッションが成功裡に完了することを期して、後日レポートすることにします。

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2008年7月5日土曜日

初収穫 わが家の「すもも」

以前から気づいていたのですが、ずっと前に植えた「すもも」の樹に実がついています。
この樹に実がつくことは、初めてのこと。
1ヶ月ほど前は、まだ青々としていて、時期もちょうど同じ梅の頃で、まるで大梅の実が生っているようでした。しかし、まさかここまで色づいて、食べられるようにまで成長するとは思いもよらないことでした。

そもそも収穫することなど予定の中に無いもので、植えてからというもの、ずっと放ったらかし。
自慢ではありませんが、何の世話も焼いたことが無かったので、本当に望外の収穫です。
とはいえ、昨年の秋のこと、あまりに枝が伸び放題に伸び過ぎたのもですから、樹形のことを気にして枝を掃ったくらいで、それとて収穫を期待した「剪定」などという気の利いたことをしたつもりは、一切ありません。とりたてて肥料も施していないし、わが家の他の樹木や草花と同じく、完全無農薬です。


そんな具合なものですから、今週始めになって一気に色付きがよくなってきても、まさか食べられるにまでなるとは、考えもしませんでした。

ところが、しっかり色付いて完熟したと思われる1個を獲り、半信半疑で口にしたところ、
「甘~い!」
驚きの美味です。
半分だけかじった、その1個を持って思わず家の中に駆け込んで、
「これ食べてみな」
と家人に差し出す。
上気した私に様子に少し戸惑いながら、促されて口にした家人からも
「なんて美味しいの!」
と、瞬間、驚きと喜びの声が上がりました。

これまでも、八百屋の店先で売られている「すもも」だの「プラム」だのを、甘い、美味いと思って食べた記憶など無いに等しく、好きか嫌いかを問われれば、嫌いと答える果物の部類でした。ですから、「すもも」は酸っぱいというトラウマ状態だった。
そもそも「すもも」というネーミングのことも、「酸っぱいモモ」を称してのことと真剣に信じていました。

ところが、生まれて初めて口にした、樹上で完熟の「すもも」の味は総体甘い果汁の塊で、ほのかに生のアーモンドの実のような甘ったるい香りがします。
姿形といえば、先日のことスーパーの店頭で見かけた「概ね黄味がかった、しかし、どこかで紅い色」をした旅の「すもも」とはワケが違い、全体が赤紫色に近い深い紅色をしています。
若干ですが、タネの周りと皮のすぐ内側あたりに酸味を感じるものの、それとても甘さのバランスで考えれば、とても好意的な酸味に感じられます。

というわけで、タップリとわが家の正真正銘、「完熟獲りたてすもも」を腹いっぱい堪能し、今日は昼食抜きです。

さて、まだまだ獲りつくせない熟した実と、ここ一両日が獲り頃と思われる本日以上の収穫予備の大軍を眺めながらて、さて、無駄のない活かし方は・・・と考えているところです。

今週末には、再び収穫することにしようと思います。

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2008年7月1日火曜日

ティザーサイト

「ティザーサイト」という言葉に出合った。
ただ、こうしたビズログの場面でとは思いもよらなかった。
そもそも「ティザー(または、ティーザー)」と「WEBサイト」を組み合わせた言葉だが、これもインターネットの普及以降の新語だ。
「ティザー」の意味するところだが、これは広告手法の一つであって、別名を「覆面広告」などとも言う。
(用語によって一気に怪しげな雰囲気が漂うのは面白い)

よくよく考えれば、セールスプロモーションの一手法なのだから、ティザー広告をブログで告知することは、今日なら当然のことだ。

企画会議などで、
「今度のSPは、ティザーで行こうか」
「いただきッ、それでキマリ! 早速コンテ画いて」
なんていう使い方をされるわけで、伝えるべき要素を意図的に明らかにしないで、そのことによって消費者の注目を集めようとするわけだ。

例えば、新車の正式発表を前に、車体全面を黒い布か何かで覆った映像をバックに、
「○月○日 その真実が明かされる…」
などとナレーションを入れたり、あるいはコピーやキャプションを配せば、正真正銘のティザーとなる。

さて、最近のリリースの中でのこと。
セキュリティソフト、ノートンでお馴染みのシマンテックでは、ノートンファイター を広告するにあたり、ティザーサイトを設けたとのことだった。
早速、そのサイトを訪問してみた。

ここでは、2008年7月8日 正式オープン予定のN.O.C.対決ゲーム告知の中で、
「じらされるのも、悪くないでしょ…」
という小悪魔風の明示的なコピーよろしく、これこそ「ティザー」を地で行っている。
ちなみに英語の "tease" は、「じらす」の意味なわけだから、先の台詞は包み隠すことなく「ティザー」であることを表明しているわけだ。

そこまで誘導しておいて、付帯するさまざまな商品情報をサイト上に展開し、意図して一緒に閲覧してもらおうという目論見なわけだ。

しかし、ここではたと考える。
ノートンの基調色であるイエローを主たるイメージとしたアニメあり、戦隊モノを彷彿とさせるド派手なサウンドあり、となれば、果たしてノートンが狙うマーケットとは?
私が知る限り、競合他社の広告宣伝の有り様とは、明らかに異なる。

その意味では、極力、教条的な表現を避けて直感的にコンピュータを取り巻く脅威を説明し、それに対策するノートンの優位性を解く企画の新規性に注目したい。
なんてたって、ティザーの対象がゲームなんですから。

だから、
「ビジネスの現場における情報セキュリティーのマネージメントに関しては…」
などと説教じみて始めると、甚だ小難しくなってしまうところを、戦隊モノ風アニメやゲーム・サイトのティザーに見られる具体的な表現を提供して、コンピュータ関連のセキュリティー問題をより身近に感じさせ、それら関心を一定のターゲット商品に引き寄せようとしている点において、広告効果を期待しているに違いない。

ところで、自宅の自前のPCならいざ知らず、オフィスのデスクトップでPCのスピーカーをオンにして、しかも音量を目一杯上げて、このサイトを観ることができるのかな…と考えてしまった。
その光景を想像するととても興味深いが、そうとでもして社員にセキュリティの必要性を説くような「懐の深~い」企業が必ずあると信じたいし、そうした企業こそ、活躍・発展してもらいたいものだと心から応援したくなる…、ホント。

PCのセキュリティーを担保するハードやソフトと並んで、それらとのヒューマンインターフェースが重視されている。対策するハード、ソフトの導入を必要最低限の条件として、私たち自身の意識に訴えかけることが必要だ。

ならば、そうした啓蒙のために、ゲーム・サイトの公開でもって
「じらされることくらい、決して悪いことではないよ」
って返事をしたくなる、例の小悪魔ちゃん!

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