2007年9月16日日曜日

コントラータ

コントラータとは、「集落」のこと。

軽井沢に芸術家が集まって…そう、アート・コントラータを形成したとか。

集まる力が羨ましい…

群れないことを旨としてきた私の基本姿勢からして、芸術とコントラータの関係について、今ひとつ理解できないところがある。

考え方しだいだが、芸術家…って、そもそも何なの、そう考えてしまう。

クラフトとアートの境目って何?

知らないうちに芸術家の一員にされてしまったクラフトマンも大勢いると思うけれど、結局のところ催事を企画する側の考え方の違いかな?

もし、僅かなキャッチコピーの違いで、アートとクラフトの差が出る…そんな程度ならいいけれど。
あまり大上段に
「アートです」
って宣言されると、ちょっと退いてしまう。


<おしまい>

2007年9月12日水曜日

拝啓 安倍総理殿 …今さらお辞めになってどうするの…

拝啓 安倍総理殿

今さら、お辞めになってどう責任をとるおつもりですか?

そうです、こんなタイミングでお辞めになったことの責任です。
そもそも、お辞めになってしまわれては、責任の取りようがありませんか。
それとも、責任の取りようが無くてお辞めになられたのですか?

庶民感覚としては……遅い。
卓袱台をひっくり返して怒っています。


なぜ?
求心力が失われたから?
そんな理由ってありません。

だって、求心力が失われたことを如実に表したのが、例の選挙でしょう。
だから、参議院選挙直後からのことじゃなかったのですか?
求心力が失われた…そう仰るなら、それは、ひょっとして、もっともっと前からのことかもしれませんし。

もとより、ご自分が一番良くお分かりだったはずでしょうから。
だから、どなたにも相談することなく。

昨日は風邪気味とか仰って、だるいのかな? と心配していたら。
今日は、国民がとってもだるい…。

百歩譲って、お辞めになるんでしたら内閣改造前でしたね。
だれが考えても、最悪のタイミング。


ところで次の総理は?


それにしても

ほっとけん…日本。
そんなんに任せておいて、ほんとうに大丈夫?


<おしまい>


2007年8月19日日曜日

相変わらず暑い。

厚い…熱い…篤い…暑い。
間違えるほどに…暑い。

8月になって、ちょっと夏休みしていたら、もう半月以上過ぎちゃって。
暑いからブログもお休み、といったところ。

今日は多少、過ごしやすいかな、と思って温度計を見れば、室内で31度、床面28度。
OMソーラーの限界を超えている?
クーラー嫌いは当方の責任とあきらめて、ゆっくりお付き合いしましょう。

もう少し日が傾けば、やがて窓越しに涼しい風が入ってくるはず。
ブログでも書きながら時間の経つのをじっと待ちましょう。

24時間TVでも観ながら。


<おしまい>


2007年8月17日金曜日

観測史上最高気温 40.9℃

暑い。とにかく暑い。

昨日に「猛暑日」のことを書いていたら、まさにその当日には観測史上で最高気温を記録したそうな。
それも全国2都市で40.9℃とは。少しぬる目の風呂の温度か。

39℃程度のぬる~い湯が好きな私には、水でも足しながら、つま先でかき回してから浸からなければなりません。

とても空気の温度とは思えない…。

こう一言つぶやく程度で、今日もガマン…ガマンの一日が始まります。


<おしまい>

2007年8月16日木曜日

猛暑日

猛暑日?

さて、天気予報やニュースでこの「猛暑日」という言葉を耳にして、聞き馴染みが無いなぁ…と思っていたら、やはり、私の聴覚と記憶は正しかったわけで…。

もちろん、猛暑なんていう言葉は知っているし、使ってはいましたが、気象を表すアカデミック(?)な用語としては、初出だったわけですね。

つまり、「猛暑日」とは
最高気温が35℃以上の日のことで、 気象庁が今年(2007年)の4月1日から使用を開始した気象予報に関する用語とのこと。
11年ぶりの大幅な用語改正で追加されたうちの一つだそうです。

なみに「夏日」は最高気温が25~29℃、「真夏日」とは同じく30~34℃、
「熱帯夜」とは夜間の最低気温が25℃以上の日のことです。

しかし、地球規模の温暖化傾向の影響を受けてか、1日の最高気温が35℃以上の日がわが国でも1990年以降に急増。
この10年間(1997~2006年)の東京、名古屋、大阪、福岡、いわゆる主要4都市における35℃以上の日が計300日以上と、1967~76年の3倍近くになっているそうです。

このため、「夏日」と「真夏日」に加えて、35℃以上の日として特に「猛暑日」を定めて、これが登場することになったわけなんです。

そういえば、私が子供の頃の遥かに遠い、淡し記憶では、
「暑い、暑い」
と言いながら、寒暖計に目をやれば、指された数字は30℃が関の山。

32℃にでもなった日には
「暑くて死にそう」
と言ったか、言わなかったか。
とにかく辺りは異常事態だったような。

あくまでも感覚的な記憶のことで、記録があってのことではありませんが。
同年代の方と話すと、皆さん多かれ少なかれ同じような記憶を背景に、同じような意見をお持ちのようです。

そんな暑さの中、クーラーなんぞというものは、公共施設とか、客相手の商売の店舗とか、よほど大層な構えの家とか…に限られていて、庶民はといえば家の内に外に日陰を工夫しては、あるいは各所に水を打ち、団扇で体にかすかな風を装いながら、夏を夏なりの夏さと共に過ごしていた…そのような記憶です。そして、朝に夕に時間を選んでは真昼の暑さに痛んだ体を安め、明日には巡るであろう再びの暑さに備えたものでした。
そうした暮らしの中で、35℃なんていう気温を過ごした記憶は、ほとんど無いというのが確かなところです。


ところで、わが家は当節、家内中がクーラーを嫌って敢えて家に設備していないため、例年に比べてことの他、今年の暑さに対策の工夫が求められています。

積極的に冷房する設備の代替設備には決してなり得ないことは明らかなのですが、わが家に設備されているOMソーラー(いわゆるパッシブ・ソーラーの草分け的なシステム)をして、猛暑日には並々なら工夫が求められているのです。

設備して以来、夏の外出から戻って室内に入ると、確かに
「涼しい。これなら居られる」
そう直感できていたのですが、今年は部屋に入っても「ドッカーン」とした暖気が重く肌にまとわり付いてくる気がして、とてもじゃあないけれど涼感を得た気がしないことの日が多いのです。

構造上、OMソーラーに責任があるわけではなく、そうした生活様式を自ら選んで、そうと納得して暮らしているわが家に住人にとっては、この暑さを「苦痛」などとは言っておれません。
考えて、工夫して、対策して、必ず巡る次の季節を期待して、ここ何日かを乗り切りましょう。
クーラーのないことを自ら恨んではいけません。意地にかけても…です。

さて、そんな暮らし向きの納得を求められていること自体、かつて、私が幼かった頃の夏の日のことを思えば、極めて贅沢な話です。
しかし、やはり「猛暑日」を制定するに至った背景については、そんな私の実感や求められる暮らしの工夫によっても、しっかり裏付けることができそうです。

とにかく暑い!


<おしまい>