2007年7月16日月曜日

平成19年(2007年)新潟県中越沖地震

いま、ニュースを観ていたら今回の地震に命名(気象庁)があったそうな。
平成19年(2007年)新潟県中越沖地震 と。
当地においても、大きく水平方向にローリングするような、今回に独特な揺れ震度3を感じた10時13分。
「これは、どこかで大きく揺れている」、そう直感した次のタイミングで早速に津波警報が発せられ、そのTV報道を観て、新潟方面が震源であろうことを感じた。
ちょうど連休を利して帰省していた娘は、長岡の友だち、群馬の知人の安否を心配した様子だったが、その当時には何とも予断で安心を述べることもできず仕舞いだった。
結果的には「大丈夫」という結果であったようだが。

しかし、TV各局における番組変更は迅速だった。
連休の最終日(海の日)ということも影響してであろう、家庭における視聴の傾向を判断してのことと思った。
チャンネルをジャグリングしていると、各キー局ともヘリと現地への電話インタビュー、視聴者から提供されたビデオ、とほぼ傾向は一定しており視点の新しさなどは感じることができなかった。
それにしても、報道の適時性という点ではこれ以上はない…つまり、地震発生とともに報道室にカメラを切り替え、それ以降少なくとも6時間以上の連続したシフトには敬服する。
こんな非常時にソープドラマだ、お笑いだの事も無いだろうに…が、番組スポンサーであり、キー局の基本姿勢かと思う。
(正確には、既定番組にL字画面等の文字放送していたものもあったが…)

昨日までの台風4号に引き続き、報道スタッフにはご苦労様。

いよいよ午後3時半を画して、記者、カメラクルーが現地に、つまり地上に降りた。
住民の方々はもちろんのこと、くれぐれも報道クルーの安全にご注意のことと祈るばかりである。


<おしまい>


2007年7月14日土曜日

翻訳で思い出すこと

日本人が単に翻訳をする…とした場合は、おそらく日本語に対するところの「外国語」を日本語にすることをイメージされることが多いように思います。

私の場合はその反対で、ある仕事の関係で「日本語」を「英語」、正確には「米語」に翻訳してもらうことがありました。
アメリカ西海岸への旅行記、つまり現地でのエピソードを日本語で原稿に起こして、それを翻訳してもらう…。
旅をしているのは日本人なわけで、英会話のテキストとはいうものの、なぜ英語にしなければならなかったのか…

今思うと企画そのものに多少、無理があったようにも思いますが。
でも、現地で急な腹痛に見舞われたら…、忘れ物をしてしまったら…、などなど、どちらかと言うとエマージェンシー対応の仕立てになっていたので、それなりに意味があったと思います。

その企画の中でお願いしたのが翻訳会社でした。

そこで感心したのは、出来上がった原稿をひたすら英語に直すだけではなく、結果としてそれは契約外の内容だったのですが、ドラマ仕立てのスキットに対して、こうしてみたら…ああしてみたら…と、予定外の提案が相次いだことです。

最終的には、テキストブックの他にCD-ROMに音の教材として落とす作業があったのですが、担当してくれたバイリンガルの大学院生の方は、手弁当でナレ録に付き合ってくれました。

要するに、オリジナルの原稿あっての翻訳とはいいながら、自分の関わった原稿のナレーションまで見届けよう…いや、聞き届けようという、見上げたプロ根性とお見受けしました。

外国語をビジネスにするということには、ただ読み書きできるということを超えた、言語あるいは異文化(日本文化に対するという意味で)に対する尊敬と愛着あるいは、別の視点からは責任とが必要なのだ、と痛感させられたものです。

日本語だけの私しては、日本語をもっと大切にしなければなりませんね…と考えさせられました。


<おしまい>


2007年7月6日金曜日

「ばらの包み」の贈り物

デパートにはそれぞれ顔があって、それは各デパートのイメージを象徴する。

では、高島屋といえば…
私なら迷うことなく直ちに「ばらの包み」と答える。

いつ頃からそれとして意識し始めたのか覚えていない。それほどに自然な感覚だ。

たしか、子供の頃の私にとって大切な「東京のおじさん」が贈ってくれた、その贈り物はいつも「ばらの包み」だった。だから、物心がついたと同時に「ばらの包み」は意識の中にあった。

高島屋のギフト…といえば、タカシマヤ オンラインショッピングでと考える方が増えているそうだ。
この時代、ごく自然の流れといえばそれまでだが、注文の方法や、それを受ける方法が変わろうとも、なんら変わらないのが「ばらの包み」のことだ。

ぜひとも変わって欲しい…企業にそう望むことがあれば、ぜひとも変わらないで欲しい…そう願うこともある。
その代表格が高島屋の「ばらの包み」なのだと思う。

たかが包装紙なのではない。

高島屋に培われた長年の伝統を包み込むように、客とその先の贈られた人までを大切にするという変わらぬ心を織り込むように、あの「ばらの包み」は超然として優雅に、かつ堂々と高島屋を象徴している。

そして、これからもずっとそうあるに違いない、と信じさせる何かが備えている。

大好きだった「東京のおじさん」はもういない。
でも、その息子さんが届けてくれるその贈り物は、相変わらず「ばらの包み」だ。

贈り主の思いが込められた一品には、今でも「ばらの包み」がよく似合う。


<おしまい>


2007年7月3日火曜日

市田柿

 市田柿は、南信州は伊那谷、天竜川のほとりで生産された良質な柿が原料とされます。これは約600年程前から伊那谷に多く見られた在来の渋柿の一種で、現在の高森町市田地区が発祥の地とされています。諸説ある中でも、当時の飯田藩主が柿の木の植栽を奨励したことで広まったとする説が有力です。

 秋になると、伊那谷の天竜川河岸段丘一帯は濃い川霧に包まれます。こうした気候により市田柿特有の白い粉が育まれるとされています。今日では農家の軒先に吊るされた「柿すだれ」が、伊那谷の秋を告げる風物詩となっています。

 さて、干し柿は全国各地にありますが、この市田柿は昭和20年代に商品化され、現在では長野県を代表する干し柿のブランドに成長しました。

 干し柿は、いまや食物繊維が豊富な健康食品として注目されていますが、 市田柿は特に糖度が高く、肉質が緻密なことが特徴です。

 皮を剥いて糸で吊し、天然乾燥することによって美しいレンガ色に仕上がり、さらに川霧が育んだ粉をふいて、極上の干し柿ができあがります。


<おしまい>


ご披露 自作川柳! お題は「転職」

では、転職にちなんで川柳を一句…

「転職は、手に職になり、天職になり」

川柳といえば、江戸の古来より「うがち・おかしみ・かるみ」という三つを要素とされています。
さすれば自己評価するも、この川柳は真正面に過ぎて、可笑しさや、まして軽さにも欠けるかも知れません。
が、しかし、転職とはそのようなものではないでしょうか。

その方の年齢や背景によっても異なるので、
「そんな悠長なこと、考えているヒマないよ…」
という声も聞こえてきそうですが。
でも、手に職、天職…それらの可能性を秘めた転職にあやかりたいと思う向きは否定できませんね。

きっと。

拙い句のこと、誠にお粗末さまでした。


<おしまい>